最近の出来事。

  • とある学校の同窓会に参加した。

同窓会というか、飲み会に行った。既婚率と喫煙率が8割を超える飲み会って始めてだわ。いくつか確認しておこう。現代ジャパンにおいては、1990年代後半より情報化+消費社会の本格化の到来による個人の嗜好、価値観の多様化から全面化したことにより結婚誓約のコストは、心理的、肉体的、金銭的に以前とは比較にならない程跳ね上がっているのである。それに、リーマンショック以降生じた不況が追い打ちをかけ、金銭的なコストは持たざるものと持てる者の格差をますます明確にしているのである。また、喫煙についていくつか補足しておかねばなるまい。現代において、喫煙とはいかなる意味においても有効性を見出すことの出来ない、本質的に嗜好品として捉えられ…いや、もうどうでもいい。そのような一般論はどこで通じる話なのかということである。つまり、我ら同胞はそうしたセオリーなど軽々とすり抜ける、かの浅田彰氏が指摘した、現代のスキゾキッズであったということである。しかも面白いのは、どちらかと言えばヤンキー文化圏内の生息者と見られていた女性陣が何故か大変かたーいご職業の旦那様といらっしゃったというところである。世界の周縁にいるワタクシのごとくひ弱なオタより余程きちんとされているのである。ある面ではそれは理解出来るところもあり、どちらかと言えば彼女らの方は既に1回転した後、やはり現実に向き合われているということである。ワタクシにはそのような覚悟は無いのである。

一方で、非ヤンキー文化圏ご学友の皆様は多くがご結婚していない。最近長年連れ添ったパートナーと別れたと語る人々が一様に「何かが違った」「価値観が違った」と言っていた。これは先のヤンキー文化圏の人々とは実に対象的だと思う。ヤンキー文化圏(と私が思う人々)は、全然縁の無さそうなかたーいパートナーとでも結婚するが、そうでない人々はそもそもそうした「結婚」とか「出産」を選択可能なものと捉えているように思える…とかなんとか、悦に入っていたのは私の加速時間(アクセル・ワールドを読んでくれ)の1.8秒くらいの出来事に過ぎない。実際には、僕は「変わってないっすね!○学生から変化ないっすね!今でもアニメとか見てるんですか?そうですか…ところでスピッツとかしんみりするのでやめにしてレディー・ガガとかいっちゃってイーですか?」とか散々に、思索することと発話することのギャップに取り残されたまま己の至らなさにざんげした後ラオケに行くことになり文化の違いどころではない人種の壁を感じた。あースピッツとかダメなんだ、くるりもだめ、マッキーもオレが歌うとダメダメっちゃうんだなぁ…。