文化系女子のみなさんへ

selim2006-05-10

成城トランスカレッジ! ―人文系NEWS & COLUMN―を見て今週のAERAを買いました。Googleの話も面白かったのですが、最も興味を引かれたのは「文化系女子vs東池袋オタク女子」という記事でした。見開き2ページのあっさりした紹介記事であり、vsと付いているものの、女子同士の競争というより異なる生態系を生きる女性にスポットを当てるという趣旨のものでした。ライターは今話題の杉浦由美子さん。文化系女子に何故人気が集まるのか、また東池袋オタク女子とは一体どんな趣味嗜好の持ち主なのかについても、短めに記事がのっています。興味がある方は360円でちょっとしたサブカルです。以下余談。

もしも
ライターの杉浦由美子さんにマーケティングの意図があるとしたら、女性のカタログ化はついにここまで来たのか!という印象でした。以前から、女性を雑誌ごとにセグメント化する方法はありましたが、余程今のマーケティングっていきづまっているのかなぁとか余計な心配までしてしまう。誤解されそうですが、僕はこういうカタログ化自体は結構な事だと思います。男性、女性、お互いに好みが合っている方が良いに決まってます。自分自身、話を理解してくれる人の方が好きですし。良いですね、「文化系女子」。これからは「文化系女子」がモテツールです。本当にありがとうございました。

でも
こういうカタログ化も色々と複雑な気持ちですね。記事はこんな言葉で締めくくられています。

男性の幻想に合わせて振る舞ってあげること。それもモテる要素なのかもしれない。

そうですね。全くです。でもそれって文化系女子なんでしょうか。それってただ本や映画ををモテツールとして使いこなすイケイケ(死語)の女子とどう違うんでしょう。男性の幻想になど見向きもせず、自身の世界観をただ強固にするためにこそ、文化があったような気もするのですが。それは男性も同じだったような。

思い起こせば
文庫本をかたくなに話さず、「小さい死」(「ダ・ヴィンチ文化系女子特集」より引用)などと甘ちょろい言葉ではなしに、本気で時々死にたくなる文化系女子は長らく文系男子の憧れでありました。絶対にこっちを振り向かず、想像の世界に充足しきることも出来ず、自意識と美意識の間で懊悩する女性。僕はそういう女性こそ「文化系女子」だと手前勝手に考えていました。なので、「文化系女子」という言葉が今後マーケティング的に流通するのであれば、そういった女性は最早「非モテ」としか呼ばれないのでしょう。オタクと非オタクの境界がますますぼやけ、オタクを明瞭にカテゴライズ出来なくなったのと同じように、文化系女子にもそういった末路が用意されているのだと思われます。


僕としては、そうした終わりを迎えつつある古い姿勢を貫いて貰えたらなぁ…と思います。
半ば環境のため、半ば自分のために奇妙な自意識を持つに至った自分を、貫いてもらえないかなぁと。なろうとして、というより半ばなってしまった自分を貫いて貰いたいなと。無理ですか。そういう自己同定は古いですか。「モテ」のために、全てを捨ててしまえるのですか。貴方の部屋に山と詰まれた文庫本はそんなことのためにあったのですかと、この記事を読んで思いました。

まぁ僕もこういうこと考えるからモテないんですね!女性に勝手な期待を抱き過ぎ!だと思いましたが正直な心情なので一応書きとめておきましたよ。

追記:ひとまずお休みだお( ^ω^) - 文化系女子に萌える文化系男子の妄想を破壊してみる
真実はこのあたりですかね…。でもマンガ1000冊あって普通の本がそれ以上あっても萎えるどころか萌える。