プチクリ!―好き=才能!

プチクリ!―好き=才能!

概要
「好き」=「才能」。プロのクリエイターになることが幸せの近道なのではなくてクリエイティブになることが本当の幸せだという論旨の本に書かれた自己啓発本。創作をする上で陥りがちな誤解を解きほぐし、まず自分が楽しむためにどうしたら良いのかが分かりやすく書かれている。全体は5章にわかれ、「プチクリとは何か」「才能とは何か」「表現するとは何か」「クリエイターとは何か」を説明した後、著者の自己体験を交えつつ締めくくっている。一種の仕事論としても読める。

かんそう
面白い。特に目的も無くブログを更新しているような自分にとっては目から鱗だった部分も多々あり。ありあまる才能が必要なのではなく、才能とコントロール力が表現力を生み、それこそがクリエイター能力の源泉だという主張にはなるほどなと思った。

もちろん製作者のオリジナル信仰を常々否定してきた著者の主張にそれほど目新しさは感じないのだが、理路整然とした説明に相変わらず歓心してしまった。その他にも、岡田斗司夫ガイナックスを辞めた理由やその後の「プチクリ」としての生活も書かれていて、中々読ませる。まぁそれが本音かはともかく。

と白々しい事を書きましたが、本当に面白いですよ。はてなダイアラーのように突出して情報リテラシーが高いと、「岡田斗司夫」の名前を聞くだけで色々と先入観を持ってしまいそうですが、他人に何か始めさせてみたいなと思うとき、またそれを説明する時にこれは種本としても利用できそうですし、便利アイテムだと思います。立ち読みした時に「字がスカスカでダメそうだなー」というのは損。

以下雑談
ここからウラ読み疑心暗鬼モードに入るわけだが、この本は岡田斗司夫の「クリエイターダウンサイジング論」でもあると思う。勿論この本はプチクリとして生きろ!と命令するものではなく、こうした方が良くないですか?という提案なのだが、プロのクリエイターがますます食べれなくなってきているという事情や、格差社会の到来などが言われている最近の雰囲気を上手く捉えているなぁと感じた。つまり「降りてみよう」ということ。そこから見えてくる新しい風景もありますよ、という。

こういった主張は森永卓郎氏の「年収300万円時代を生きる」というフレーズとも微妙に呼応しているようだ。本業でギスギスした競争を続けるよりも副業で新しい生きがいを見つける、というアレ。ちなみに、いわゆる糸井重里メソッドが縦横無尽に使用されていることも見逃せない。何故、岡田斗司夫糸井重里に似てきているのか?個人的にはこれもかなり興味深いが、掘り下げる見識と知識が無いのが悔やまれる。森永卓郎糸井重里岡田斗司夫。何か共通点はあるのだろうか?

また、ここ最近ネットを騒がせている岡田氏の「オタクイズデッド」発言を鑑みるならば(僕は当のロフトプラスワンのイベントには参加していないので又聞きでしかないわけだが)、共同体としてのオタクが消滅して以後の裸の個人としての岡田斗司夫氏の生き方をも、本書では示している。そう言えば、以前の彼は自称「作家」だった。何故かというとクリエイター信仰を捨てられないからだと。クライアントの要求に従順なライターよりも劣る存在としての「作家」だ、と言っていた。「作家」から「プチクリ」への移行は彼の中でいつ起きたのだろうか。まぁどうでも良いか。

そんな経緯を記憶してしまっており、ぼくたちの洗脳社会 (朝日文庫)からの読者である自分にとっては、これもまた洗脳合戦の一環だという斜な見方も捨て切れないのだが(これもまた新しい自己弁護のレトリックに過ぎないという見方)、まぁそういうのに乗ってみるのも悪くはないのかな、などと思う。

いずれにせよ、岡田斗司夫氏の一連の著作について、これからはオタクという概念を中心から外して読まなければならないんだなぁという、10年前、エヴァの狂騒の折に漠然と感じていた事を、この本で再確認させられた。

関連
OTAKING SPACE PORT
岡田斗司夫氏の公式サイト。無料で一部の著作が公開されている。特に小林よしのり氏の本音を引き出した東大での講義録は必見。
岡田斗司夫のプチクリ日記
ならびに公式ブログ。コメント欄がアツイ。
kajougenron : hiroki azuma blog: オタク世代論補足
東浩紀氏のちょっとした反応。自分はオタク3.3世代…か。第4世代に会ってみたい。
kasindouの日記 - オタクは死にました
件の起点となったレポート。トラックバックやコメント欄も中々凄いことに。
ほぼ日刊イトイ新聞 - プチクリをめぐる歌。
と思ったら糸井重里氏と対談してましたね。うーん、本のプロデュースとか彼にしてもらったのかなぁ。
モヒカン族 - 糸井重里メソッド
糸井重里メソッドはこちらを参照してください。