サイバーパンク時代の先輩と後輩(?)についての妄想

脳も身体改造が日常的に行われるようになったら

年上と年下という関係やそこから生じる社会的関係性もかなり変化するような気がする。例えば、功殻機動隊のような世界においては身体改造どころか脳の改造も頻繁に行われており、結果草薙素子は自分を定義する根拠を失っている。何故かと言うと、身体のあらゆる要素を工学的に再構成できるまたは生産できる時代では、母から与えられた肉体のパーツはほぼ脳(の一部)しか残されていないのだ。

結果、自分を自分であると確かめる根拠は脳にしかも止めることが出来ないわけだが、その脳すらも自分の目で確かめる事は出来ない。よしんばそれが出来たところでそれが擬似記憶を与えられている可能性も否定できないので最終的な確証は得られないからだ。

先輩はエライから先輩は古いへ

ここでは士郎正宗が提示したような話題はさておいて、もう少しどうでも良い事を考える。上記のような世界では、身体改造の技術は加速度的に進行している。まさに車がモデルチェンジを行うが如く新しいパーツや新しいボディが次々と売り出させるだろう。また脳にUSBメモリのようなリームバブル外部記憶や、ハードディスクのような大容量記憶装置を埋め込む事も可能であるかもしれない。

するとこれからは、後輩ほど新しく高性能で先輩は単に旧型ということになるかもしれない。だが、先輩には経験値があるからそれほど急激に人間の工学科は進まないという思いつきも、そこでは否定されてしまう。脳の記憶のやりとりがデジタルデータとして完全に(勿論それがどんな意味で完全なのかという留保付きだけど)コピーできるはずだから、経験を後輩にフィードバックしたら先輩の価値は低下する。

現在では流石にここまでラディカルな状況は無いと思う。先輩に対して何となく年上だしたてないと、とかまぁ「空気読め」みたいな同調圧力があるし。悪い面も良い面も含んだ「空気」があると思う。けど、こういう世界が到来したらただ単純に古いし使えないという以上の意味付けってして貰えるのかな・・・とか思う。

特に企業では、使える後発世代を強化するために記憶のフィードバックを年長世代に命じるだろう。今でも企業内でベストプラクティスのベンチマークとかいうカタカナを使って記憶や方法論のフィードバックはある。

もちろん中にはアンティーク好みがいて特定の年代のボディに興味を示す人もいるだろうけど、それは主にプライベートな関係であったり異性関係であったりするわけで、軍隊や企業体といった組織内においてそういう情緒を示す人は少数派になるかもしれない。多分僕はアンティーク派だろう。

あと労働組合が年上の記憶容量をどの程度後輩へ移動するかを賃上げ交渉につかうかもしれない。でも、それも基本的には新型の方がエライという構造は変わるまい。何か殺伐とした社会だねぇみたいな事をギャオでやっている破邪大星ダンガイオーを見ながら思った。

でも良く考えると別に先輩も自分をガンガン身体改造すれば良いだけの話だったりするんだよね。むしろロボットの話だったなこれは。

何か13日もここを放置してしまうと凄い時間が経ったような気がします。