卒業文集と日の丸について

asahi.com:式での起立・斉唱定めた都教委通達は「違憲」 東京地裁 - 社会

入学式や卒業式で日の丸に向かっての起立や君が代の斉唱を強要するのは不当だとして、東京都立の高校や養護学校などの教職員が都教委などを相手に、起立や斉唱義務がないことの確認などを求めた訴訟の判決が21日、東京地裁であった。難波孝一裁判長は、違反者を処分するとした都教委の通達や職務命令は「少数者の思想・良心の自由を侵害する」として違憲・違法と判断。起立、斉唱義務がないことを確認し、違反者の処分を禁止した。さらに、401人の原告全員に1人3万円の慰謝料を支払うよう都に命じた。都側は控訴する方針。

長いよ

そう言えばむかし、中学生3年生のころに卒業文集の編集をやったことがある。僕は周りより早く受験が終わってしまったので公立高校受験の友達の文のページや、埋め合わせページ等を担当やっておいてと当時の担任と学年の先生に頼まれていた。それで、最初は手伝いだけかなと思ったんだけど最終的に人手がどんどん足りなくなったので当時ラクガキを描くのが趣味だった僕は先生から表紙もやるように言われた。トーンとGペンの使い方もロクにわからずにサインペンか鉛筆でしか絵を描いた事がなかったので、その当時担任だった先生に色々と相談した。

先生は美術と数学担当で(田舎の公立中学校は複数の科目を担当する先生が多い)、僕は学校の授業では一番美術の授業が好きだった。中学校あたりから、周囲の同級生はそういう創作系の授業に対して白けたポーズを取るのが一種の流行りだったが、僕は美術の授業だけは真面目にやっていたように思える。何と言うか子供のころは(今も子供だけど)、ああいう類の授業は決定的に先生そのものが重要だ。いくらミュシャが凄くてもウォーホールが面白くても、それの入り口になる先生その人がつまらないと急速に絵なりなんなりに興味を失ってしまう。子供には先生という存在から美術や音楽そのものを切り離して、後者そのものを見つめると言う作業が出来ないからだ。美術を語る本人が面白くなければ、美術そのものもつまらなく思えてしまう。そういう意味で言うと、彼は理想の先生だった。彼はくどくど語ることはほとんどしなかった。その代わりに手を動かして創作する事を僕たちに教えたし、そうする子供を褒めていた。

卒業文集の話に戻る。僕は当時色々と表紙の案(というにはあまりにお粗末なもの)を考えていたのだけど、何かメカが描きたいなと唐突に思って自宅の本棚をあれこれ漁っていた。それで最終的に自衛隊の飛行機を何枚か写して鉛筆で下書きして先生にもっていくと、卒業文集担当の先生はまぁこれで良いだろうと言ってそれ以上上手いも下手も言わなかった。自分としてはかなり苦労して描いた(つもり)のスケッチだったので、次に例の先生にそれを見せに行って感想を聞く事にした。まぁきっと褒めてくれるだろうとかそんな期待があったんだろう。美術室で先生にそれを見せると最初は「へー飛行機にしたの」と言ってスケッチブックをパラパラめくっていたのだけど、何故だか次第に表情が固くなり最後に無言でスケッチブックを返して「これを表紙にするの?」と僕に質問した。僕は「はい、そのつもりです」と一言答えた。後は今美術でやっている内容の話に流れていった。内心自分の書いた絵にコメントを貰えなかった事で、少し不満を憶えつつも、まぁ仕事はしたし後は他の人のページを編集すれば良いよなと僕は納得した。

次の週に突然、卒業文集担当の先生に「お前が描いた表紙だけど、悪いんだけどアレ全部描きなおしてくれないか?」と言われて僕は困った。理由を聞くとどうやらこういうことだった。文集のページ仮組みが大体終わったので学年の先生全員にそれを見せて回ったところ、美術の先生が表紙だけ差し替えて欲しいと言ったらしい。文集担当の先生はあまりはっきりは言わなかったが、差し替えの一番の理由は僕が書いた飛行機のラフスケッチの殆どに日の丸が入っていた事が理由だったようだ。今思えば、日の丸の部分だけ消してラフを書き直せば良かったのかもしれないが、僕は既に下書き原稿そのものに拙いながらもペン入れを始めていたし、ラフのコピーをとっていなかったのでやり直しがきかなかった。なによりも、手が遅い僕が2週間かけてずっと描き続けたそれを全部チャラに出来るのは納得がいかなかった。
「だから・・・頼むから・・・このままだと文集そのものが無くなるぞ?それでも良いのか?表紙にこれはまずいんだよ・・・」と卒業文集担当の先生は言った気がするけど良く憶えていない。結局色々相談した末にその絵は文集の内側に収まることで妥協した。表紙は一晩でかなり適当な絵をでっち上げた。もちろんやる気なんてあるわけない。その年の同学年には悪い思いをさせたと今は凄く後悔している。

後で色々と知る事になったけど、美術の先生は所謂ニッキョウソ的な考えだったらしい。でも、別にそれは全然重要じゃない。僕の表紙は学校の先生の多くが反対してたらしいし、美術の先生は先回りでリスク回避に動いただけだったんだとも言える。ただ、今でも尊敬出来る先生が、どうして僕の描いた絵を認めてくれなかったのか。そこだけが今でもひっかかっている。