”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)

”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)

感想

前回は太宰治の「人間失格」が元ネタだったこのラノベだけど、今回は嵐が丘というイギリスの小説がそれに使われた。今回は元ネタを読んでなかったので、無駄な読書家だけに許されたニヤニヤが出来なかった。それはともかく、ちょっと今回はマズイなーというか、元ネタであるむちゃくちゃ複雑な話をさらに料理しようとして(主人公の男が実は昔小説家としてデビューした事があってそれに纏わるトラウマがあって…というのも話に絡ませて)るんで、だんだんと本作のキャラクターと嵐が丘の中の登場人物との対応関係がマジで掴めなくなって来ている。激しく難産だったようで、作者もあとがきでストーリー変更を打診したようだ。
探偵モノ
どうやらこのシリーズは探偵モノで行きたいみたい。それは前の巻と比較して分かった。つまりアレだ、遠子先輩は江戸川コナンというか金田一というかそんなポジションになってきている。そう考えると、ちょっと前の巻で不覚にも遠子先輩の太宰語りに揺さぶられた自分としては白けるというか、肩透かしだ。というのも、前の巻ではどうも太宰というか文学を愛してやまない遠子先輩だったはずなのに、コレを一種のストーリーの定型として定着させてしまうのは逆に言うと何を代入しても良い(文学でなくても良い)。それでも敢えて文学とか作家とかを話のデコレーションとして使うとすると、これは大分赴きがちがってきちゃうんで、単純に「太宰萌え!」とか言ってる場合じゃない。
文学なんて食べちゃうぞ
つまり、何でも代入出来るところに敢えて文学を入れるということは、文学ってどうでも良いと言われてるように見えないだろうか。遠子先輩が「ポール・ギャリコはあまーい!」と悶絶しながら文字通り本のページを破ってむしゃむしゃ食べる*1事は、すなわちいかにもラノベらしいキャラクターが、いやラノベそのものが文学そのものを食っているようにも、見えてこないだろうか。ラノベが文学を食うんだよ!みたいな。見えませんかそうですか。ま、ともかく、逆の意味で面白くなったかな・・・と。ただ、単純にストーリーとかキャラを楽しみたいっ!て人には前の巻同様あんまし食いつき良くないと思う。全体的に鬱度が微増してるのも嫌いな人にはどうか。

関連

松岡正剛の千夜千冊『嵐が丘』エミリー・ブロンテ
長いけど嵐が丘の解説。ウェブで長い文章が読める人向け(笑)。
嵐が丘
こっちの方がすぐ読める。
selim・またはぬるいジロリアンの日記
こっちで前の巻について色々書き殴りました。

*1:この遠子先輩というキャラクターは実際に本を食べて腹を満たす。