記憶の掘りおこし6―83年生まれのオタク観(中休み)

id:tricksignさんに昔のエントリーを拾ってもらったみたいなんで、少し横道にそれてみよう。

発端(?)

記憶のメモ帖 - 83年生まれの私から見た同世代とヲタク

う〜〜〜む・・・いちよ私は第三世代*1の「ヲタク」に分類される人間ですが、ここで言われている第三世代像のヲタクって相当レアな存在だと思う・・。

id:kir_royalさんは、第三世代と仮称されるヲタク(オタク/おたく)がシロクマさんの言うようなストレスフルで歪な姿に対する違和感として、一つの趣味としてのヲタク趣味を愛好する人がいること、ヲタク=非モテという関係は成り立ちづらくなっているんではないかーということ、世代的文化背景として主体的にヲタク趣味に関わっていたこと、世代感覚自体が希薄ということを挙げている。

オレもシロクマさんのエントリーをいくつか遡って見たのだけど、確かにシロクマさんが挙げているような第三世代のオタク像って古いというか、見た事はあるけど(ちょっと自分ぽいなとか)それほど多く無いんじゃないかなと。

シロクマの屑籠(汎適所属) - オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達(要約)

 1.思春期において他の自己実現達成の手段を選択できなかった(例えば女子との恋愛など)。少なくとも、オタク趣味界隈以外に人並みの活躍が出来る趣味・人並みに楽しめる趣味が無かった。

 2.職業や仕事から得られるアイデンティティが、修学期間の延長などによって延期されまくっている。二十代後半を超えるまでは、思春期男性は職業や仕事以外の分野で何とか間に合わせなければ窒息してしまう

 3.就職してからも、アイデンティティ自己実現感の乏しい職場・職種が少なくない。また、就職までの道のりで一度コケると挽回が極めて困難

id:kir_royalさんのエントリーにもあるけど、この内1が世代的に一番違和感が。まず趣味なんだけどオタク趣味しか無い人の方が少ないんでは。ただ映画/活字/音楽など周辺領域をオタク趣味とするならそれでアイデンティティを補強してる人はいる。恋愛の件は、キモくなければ恋愛の対象にはしてもらえるんじゃないですかね、オタクでも。逆にオタクだろうが無かろうが(オレもそうだけど)ふるまいor容姿がマズイと氏ねって感じになると思います。シロクマさんの本家では

オタク趣味以外にアイデンティティを補強する手段を持たない人達(汎適所属)

とりわけ、二次元美少女が絡むジャンルは蛇蝎のように忌み嫌われている

ってあるんだけど同世代のオタクの女子にはホワイトアルバムとかFateやってる子もいたよー。多分レイヤーの女の子の場合ネタの勉強という側面もあるだろうけど、そうじゃない子でプレイしてる人もいる。理由は良く知らない。何でだろう。

と、まぁ個別具体的な例というのはいくら挙げてもキリが無いので自分の印象で論を立てるならばシロクマさんの描くオタク像はメンタル的に第一世代または第二世代の人間をそのまま第三世代の環境に引きおろして描いているようで凄く違和感があった(そこまでアクティブ度が低かったかなぁオレ達って?)、だからid:kir_royalさんからああいうリアクションがあったんではないか。

同世代(?)

上に噛み付いてばっかりでも仕方無いんで、次に同世代の趣味性とか非モテとか非コミュの話を。id:kir_royalさんのエントリーでも言われていたようにオレらの中高生時代ってエヴァ以外にも色々な方面からオタクっぽい趣味に流れた人が多かったってのは確かですが、その後自身の趣味性を深めようとした人はそれほどストレスフリーだっかと言えばそんなことは無いと思います。例えばアニメに関して言ってみると、色んな楽しみ方があって作画だとか演出だとか単に「監督」に回収できない作家性を見出すことが出来ますよね。特にテレビシリーズなんか。でも、そういう感覚をもってしまうと凄いツライというか他人と盛り上がりづらいというか、苦行系なのでただでさえ薄い80年代の中では浮くんですよね、ジャンルに拘ると。それに知識総量が多い=オタクとして優秀という旧来の価値観を苦行系は引きづりがちなので、結構他人を見下しがちになっちゃうんじゃないかと。あと、最早オタクに独自のペダンティックな消費はかなりレアケースだから、話題になったものに引き寄せられるしそれをネタにしなければコミュニティで話が通じづらいってことがあって。そうすると、個人的心情を言えば特別見たいと思っていなくても横との繋がりを重視するととりあえず見ようかな、っていう同調圧力という強い言葉では言い表せ無い何かが動いているようにも思える。多分、東浩紀さんなら環境型権力!って言ってくれそうだけど。

非モテ非コミュ

なので、苦行系オタクは余程ふるまいや容姿を含む自己アピールに長けていないとまずコミュニティではいづらいんじゃないでしょうか。自分の価値観に照らし合わせても尊敬に足る濃いオタクに出会いづらいでしょうし、歴史感覚なり細かい要素なりを追い求める作品の受容スタイルはただでさえ細分化されたオタク趣味をさらにこまぎれにする事になります。そうすると、全体的な濃度が薄まっている(=多趣味になっている)僕らの同世代では共通の趣味を自ら狭めている事になりますし、やっぱり価値観を共有できる友達と恋人も得づらくなってしまうんではないか。もちろん今はネットがありますから、アクティブ度を上げて人に接して行けばそういう事態も回避できるんではないかとは考えますが。

まとめ

確かに第三世代は相対的に薄くなっているので、ストレスフリーになる契機は増大しているが、オタクコミュニティなどで旧来的な価値観を引きずっているものはますます居場所が無くなっている、または同世代との齟齬が強くなってきている。恐らくシロクマさんが焦点を当てているのはそういう人達に加えて、趣味が生活の一部と化している人なんではないだろうか。あと僕が思い出したのはこれ。

九尾のネコ鞭―オタクが死んで非モテが残った。

ここで、「いやいや、俺は今でもオタクということで差別されてるぜ!」と言う人もいるだろう。はっきり言おう。あなたが差別されるのはオタクだからではない。

キモいからだ。

顔がブサイクだとか、運動が極端にダメとか、コミュニケーション能力が低いとか、性格が一般受けしないとか。そういう奴は大抵オタクになる。オタク趣味ってのは、コミュニケーションが苦手な奴に親和性が高いみたいだ。まぁ、マンガ読んだりアニメを見たりするだけってのなら一人でできるからな。

だから、オタクっぽい趣味をもってるから即非モテではなく、しかもストレスフルではないというのはまちがいない。別に統計的な裏づけは無いけど、きっと多趣味になっているであろう同世代においては、一度旧来的な苦行系オタクスタイルを先天的にせよ後天的にせよ受け継いだ人はますます居づらくなっている。そして、自分の消費スタイルの変更がなければ同世代と繋がりづらいという二者択一を迫られている。と、まぁそんなとこで。何か殆ど自分の話じゃん。