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- 出版社/メーカー: ジェネオン エンタテインメント
- 発売日: 2003/12/21
- メディア: DVD
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概要
アイドルグループ、チャムに所属する霧越未麻(きりごえみま)は突如グループ脱退を宣言し、女優への転身を計る。
かつてのアイドルからの脱却を目指すと自分を納得させ(つつも事務所の方針に流されるままに)ドラマ出演でレイプシーンを演じる。さらにはヘアヌードのオファーが来るとアイドル時代からは考えられなかったような仕事をこなしてゆく未麻。
しかし、人気とは裏腹に未麻は現状への不満を募らせ、アイドル時代の自分の幻影さえ見るようになる。レイプシーンやヘアヌードは本当の自分の姿なのか。自分が望んだことなのか。
そんな疑問を抱く中、何とかインターネットに接続して見たホームページに自分の行動が本人の記憶以上に詳しく描写されていることに気づく。未麻はストーカーに監視されていたのだった。また、未麻の周辺で関係者が次々と殺される事件が発生する。
パーフェクトブルー - Wikipediaより引用
カンソウ
面白かった。ヘンな表現だけどキャラがノット萌え系、かつレイアウトもかっちり構成してある作品なので好みだというところがまず一つ。そしてシンプルにデザインされたキャラがきちんと「演技」している作品なのでそのあたりで最後まで見ようと思わされる。また、物語構成が開始5分である程度予測がつく今敏アニメなので安心感を抱く。*1
余談・岩男潤子
本作のメインスポットは何と言っても岩男潤子が演じる霧越未麻がレイプシーンに挑むところで、実にいやーな感じが良く出てた。劇中に登場するアイドルグループ「チャム」がまるで80年代のそれで見はじめは正直古いと思うんだけど、それを取り囲むいかにもなアイドルオタク達がモブとして彼女らの存在を際立たせるにいたり、ああ声優とオタクの捩れた愛憎関係みたいなもんだなと思うとすんなりくる。それで、まさに岩男潤子の声で「いやーやめて!」という絶叫をずっと聞かされる。これが性的な意味でも胸のムカムカ感という意味でもかなりこたえる。配役セレクトに製作者側の悪意が篭りまくっているなぁ。DVDの特典でも、岩男潤子が清純派で売っていたからこの役を演じて貰えるとは思わなかったと製作側のコメントがあるんだが、「じゃあなんでオファーしたんだよ」と一人ツッコミした。それぐらいききますねこれは。
今敏のハリウッド的感性
ちょっと真面目に書いてみるよ。
「あぁ楽しかったなぁ」とすんなり気分を切り替える事が出来るっていうのはアニメでは珍しい。作画が崩れていたりとか声優に違和感があるとそれがすぐに自分の脳内でノイズとして認識されるので、むしろアニメではそのノイズを織り込み済みで視聴するのが、個人的な享受方法となっている。具体的に言えば、ノイズはネタとなり、他に楽しめるポイントを探すという、複眼的でやや分裂した評価を下すことになる。
ヨーロッパ的な押井守
翻って今敏のアニメではそうした分裂した眼でもって作品を見る必要は殆ど無い。それは彼が一定のクォリティを保つ事に始まって、物語の起承転結や時間をかなり形式的に管理しているからだ。DVDのインタビューでも彼が語るように、彼はSFと美少女ものでないジャンルで勝負したかったと語っている。「結局みんなそれがやりたいんだよね」と彼が語る裏には、リミテッドアニメという制約が取り払われようともやはりそこに留まりがちな同業者に対する反発があるんだろう。同じように非美少女もので勝負する映像監督としては、押井守がいる。押井守の場合も、今敏と同じくアニメーションを端的に映像表現の道具と捉える類の作家ではあるが、彼の場合私たちに展開するのはヨーロッパ映画的な抽象的風景であり、それはしばしば私たちの足場を忽せにしようと迫る。
例えば多くのファンに未だベストワンと言われるパトレイバー2の場合、テロ状況に陥った東京という「状況」を通して、私たちの生きる平和=現実の実体とは何か、という重厚なテーマをリミテッドアニメの方法論を逆用して描ききっている。これはテーマという点でヨーロッパ的であるということだけでなく、彼の技術論にも端的に現れている。功殻機動隊の際に、レイアウトについて彼はビルがやや内側に婉曲になるように指示をしたり(建物を単純に消失点から構成したレイアウトを修正させたという話もある)、女性の主人公の目パチ(目をパチパチさせることで感情を表すアニメの典型的方法論)を禁止させた。
これは建物を内側に婉曲させる(つまり魚眼レンズで対象を眺めるということ)ことや、主人公の感情表現を削る事でよりテーマに現実を従わせるという彼の強い主張であるように思える。彼は抽象的風景を具体的に再現するためにアニメがあり、そのためなら人間の目に映るリアリティも、常識的方法論も廃棄されるという強いエゴがはたらいている。
それが彼に多くのアニメーターを泣かせている原因でもあり数少ない傑作を生み出す所以でもある。
エンターテイナー
今敏は違う。彼は押井のようにリミテッドアニメーションの方法論を逆用するではなく、徹底的に利用する事により映像を作り出すことに腐心している。それは本作パーフェクトブルーに出てくるキャラクターがまるで実在する人間のように描き出されている事に示唆的だ。彼はしばしばキャラクターに強い感情を表すように強制するが、それはテーマに重きを置いているというより一種のハリウッド映画的なリアリズムに貫かれている。彼には人間がどう感情を表すかに定式があるかのようにキャラクターの顔を緩ませ、怒らせ、泣かせる。それは押井が作品に登場させるキャラクターがこれからどこへ行くのか見ている我々にも不安を抱かせるのとは逆で、ストーリーの展開をすんなりと受け入れさせる。
またパーフェクトブルーでは性と暴力が、主人公のレイプ「シーン」と言う形ではあるが、はっきりと描かれる。男性に食いものにされる女性という、これもまた定式的ではあるがリアルな見方がここにある。これは彼の女性観が貧しいとかそうでないとかいう意味ではなくて、実に多くの人々が抱くであろう関係性をしっかりと(いささかベタに)描こうという彼と、スタッフの意思のあわられではないだろうか。
そうした定式化が、いかにもつまらない女性の怨恨犯罪なり法廷ものになり下がったのなら私達は少し興を削がれてしまうかも知れない。しかし、今敏はそうしたベタな定式化された手段を通して「本当の私とは何か?」という身近ではあるが誰もが一度は思いつくテーマへとエンターテイメントの形で昇華することに、成功している。
ひとまずはエンターテイメント的な文法に従う事で見るものを納得させ、それを物語の推進力に利用しつつ新しい展望を私たちにひらくという方法論は、今も昔もハリウッドが最も得意としてきたことだが、実は今敏もそうした系譜に連なる映像監督なのではないか。
なんてね
長くてすいません。まぁ若干作風がやりつくされた感もあれど、そのアニメにおける原点的作品であると思います。オススメ。83分。
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madhouse.co.jp
製作会社のマッドハウス。時をかける少女もここだなぁ。