webやブックマークをぼーっと眺めている時ときどき疲れます。最近の頭痛のタネはセカイ系評論とそれに連なる構造解析みたいな批評でこの前もガンスリのそれを見て疲れました*1

前にも長々と書きましたけど*2、こういう批評苦手です。直感的に思うのは、自分はそうした手法に参加する程頭が良く無いんで何かクネクネに参加できねぇーという嫉妬以外の何ものでも無いんですが、もうちょい考えてみると、ああいう評論の手にかかるとその他にいちいち反応してる自分がバカバカしくなるからだと思います。

あの手の手法は徒なクリエイター賛美を回避するにはとても有効だと思うし僕もそういうのにはウンザリです。即物的な欲望を満たしてくれればオッケーかと言うとそうでも無いですし。それでもイライラするのは、多分端的驚きとか喜びと言った感情がああいう分析からは丁寧に取り除かれているから…なんだろうと。それはまぁもっと距離を取って言えば萌えだとか言ってしまう場所からも感性は取り除かれているんでしょうね。作品総体から全体の骨組みを抽出して論じる事も、異様なまでにパーツに拘って論じる事も僕にとっては同様にくいたりない感じで。

ああ…あと気になるのは語る人の息遣いが聞こえない事もありました。語り手が作品から受け取った「何か」(萌えでも泣きでもそれ以外でも良いです)を隠すためのツールにもなってるように見えます、セカイ系評論。

その一方で、構造解析と萌えの間を素人考えで渡ろうとすればセカチューの如く自己目的化した感動からブログに書きまくっちゃうような事態も想定されるわけで難しいですが。