特にまとまりの無い話。ライトノベルを読んでいると(三人称)の話でも主人公の視線と作者の視線の密着度が強い。そして曖昧。説明描写以外はほとんど主人公の語りにも思える。比較として適当かは分からないけど日本の古典的な小説、例えば夏目漱石の小説などはその点が明瞭。分かり易い。何故か?良く分からない。とにかく、ライトノベルとそうでないものを分離する場合、人称は一つの手がかりになりそうだ。明らかに多いのは複数のキャラが語る形式。ずっと「僕は」「私は」で押し通すのは稀。あとずっと三人称で押し通すのも少ない。

一応考えたのは、主人公の語りが多い分には物語りに淀みが無いように思えるけど、そうした人物の思い込みから一歩引くと作者に面倒な仕事が増えるからかも知れない。客観的な心理描写とか背景説明とか。背景説明なんて絵がやるから良いのかなぁ。これは個人的に重要だと思う。あとは、主人公の語りが増えるに従って読み手の陶酔感や全能感みたいなものが拡大するような気がする。

こうして考えると複雑な仕事だなとも思うけど、それとも最近の作家さんは作者の語りと主人公の語りの明瞭な分割ってしないのが普通なのかしら。