東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム(長い続き)

東京から考える 格差・郊外・ナショナリズム (NHKブックス)
http://d.hatena.ne.jp/selim/20070204(前回)
コレの続き。今回は思いっきり印象論でいってみよう。あと東浩紀萌えなので東氏の発言のみの引用になります。

郊外に行くと、ヤンキー夫婦が赤ん坊を連れて、サンダルとジャージでペタペタ歩いてたりするじゃない。ああいうのを見ると、「ああ、こうやって、みんな殖えていくんだな」と安心するわけです。TSUTAYAでガンガン映画を借りて、コンビニでガンガン買い物して、カラオケにガンガン行って、生きていくダイナミズムというか。そういうのは大事だと思います。

そのヤンキー夫婦が実は中学生の時の同級生で、深夜のコンビニでばったり会ってお金せびられたりしちゃうんだぞ!しかも嫁さんは昔好きだった女の子だったりするんだ!郊外は怖いところなんだ!

ちなみに僕は、身体感覚としてはブックオフTSUTAYAのほうがすきなんですね。「適当に生きていてもいいんだ」という解放感がある。

ブックオフTSUTAYAにしか行かないけど適当になんて生きてませんからっ!郊外のTSUTAYAはアニメが少ないしブックオフにはラノベのコーナーすら無いんだからっ!

肝心なのは「楽しく子育てができること」で、「最良の子育て」をするために親がカリカリしていたのでは、逆効果だと思います。

ここは父親としての実感がこもってるなぁと思いました。ネタではなく。

そういう光景は、埼玉県のほうが進んでいるかもしれないですね。コンビニの裏の河原に普通に車が捨てられていて、産廃処理場がある、みたいな東京に遊びに行くけど、帰ってくるとどうしようもなく田舎、みたいな感じですね。そういえば、宮沢章夫さんの舞台「トーキョー/不在/ハムレット」がちょうど埼玉県と茨城県の県境を舞台としていて、そんな雰囲気を伝えていました。

リアルに郊外に住んでたらそんなオシャレな演劇を開く場所すらNEEEEEEEEEEEEEEEEEE!

冗談はともかく。実際ダラダラとコンビニエンスな店が続く汚い国道付近に住んでる人間として。多分彼は郊外に対しては「アメリカの西部」とそれを重ね合わせた「ノスタルジー」を抱いている、というよりは「多数の選択肢の中から、面白そうだから」郊外の風景を選んで楽しんでいるように見える(「あえて」なの?ねえ「あえて」なの?)。

確かに、郊外には彼がいうようなダイナミズムもあるけど、それに職業というファクターが関わったり(トラックの運転手は深夜しか遊べませんが何か)、端的な暴力の可能性(コンビニに群がるヤンキー達KOEEEEEEEEEEEEE!)が加わった時、そうは思わないんじゃないかな。端的にダルイです。買い物する場所も何か似たりよったりだし顔知ってる人にも良く会うし。一番アレだなと思うのはお客として入った店の従業員が今度は自分のバイト先に来た時とか。何か狭いよ!閉塞感ウォーな感じです。

あと、郊外は「物語」の介入を許さないほど荒々しいというのは、そうなのだけど、住んでる人達の考え方は面白い程に「美しい国」だよ。ハリウッド式の正義感が大人気なので安易な決断主義が横行してるぜ!再帰的だどうのこうの分け分からん事いうヤツはまとめてしばく!オタクも多くはないし(いや…キャラとして分かり易いオタクよりサブカル的な感性を持つ人の方がしんどいかもだね)。

ああでも郊外での人間の磨り減り方は見ものではあるのかなー。コンビニで夜中バイトしてると東京から帰ってきたサラリーマンが無闇にイライラしてカラんで来たりとか。エミネムこそリアルヒップホップ!みたいな中学生が無免許でマフラー改造した原付きに乗って家のガードレールに突っ込んだり。少し成長すると今度はどこにお金があるんだか知らないけどウーハーを取り付けローダウンした高級車に(多分意味は分かってないであろうスヌープ・ドッグとかを爆音でかけながら)もうぶつかるギリギリまで寄せて煽られたり。いやあ楽しい。サピックス日能研に行ってるヨイコには理解出来まいこのサグライフ!って思うのは確かです。

オチとか無いです。

追記:日本語がおかしかったので少し修正しましたごめんなさい。