2月中盤くらいから個人的東浩紀ラッシュでいよいよ歩く郊外の屍としての自覚を強めたオレだったが、時期的に暇を持て余し気味なので今はアルバイトをしている。家から自転車で5分くらいの場所にある、返本された書籍の集積場だ。見渡す限り本だらけなのは読子・リードマンでなくても涎ものだろう…が、生憎紙使いでもないし下流労働者なのでそれを楽しむ暇も皆無。自分の仕事はベルトコンベアーから流れてくるダンボール詰めにされた本を取り出して、本の版ごとに仕分けして機会に放るというもの。返本伝票や本の付録はオレが取り外すことになっている。場所柄全国津々浦々の本が集められているのだけど、世の中にはここまで本があるのかと今さらながら驚いている。見た事も無い雑誌もいっぱい。そして24時間止まる事無く集積場は稼動し続けている。世の中にある大半の本は返本される運命にあるような気がしてくる。オレが買った本もガンガン送られてくる。そしてリサイクルされていく。あんなにありがたかったあの付録も、あんなに欲しかったあの本も、ここでは作業工程を増やす一つの邪魔な物体でしかない。ここ数日で、書籍に対する考え方は一変したような気がする。悲しいけどコレ現実なのよね。
 
それはともかく、朝から晩まで休憩を挟みつつ労働し続けていると、なるほど以前講演で東浩紀が言ったように(もっと詳しく言えばミシェル・フーコーの研究であるが)、近代は肉体と時間を同期させるという側面があるというのは全くだなという気がしてくる。例えばオレは今大体2時間おきに休憩をもらっているが、短い休憩時間にはタバコとポカリを飲んでいる。実のところ、休憩だろうが無かろうが、タバコは何の憩いも肉体にはもたらさない。もっと言えば呼吸がしづらいと言う点でタバコはより身体を疲弊させているはずだ。飲み物も同様で、水分のがぶ飲みは肉体を疲弊させる。スポーツなどでも、水分の過剰摂取は良くないとされている。

だがオレは60がらみのじいちゃんと刺青が入ったヤンキー達に囲まれながらタバコを吸っている。オタクと老人とヤンキーという絵面が笑えるのかどうかはともかく果たして休まるものだろうか。仕事に戻る時、理屈から考えれば不思議だが、休まったような気がする。ニコチンのせいだろうか。近代の時間がなす身体規律のせいだろうか。まぁとにかく疲れててラノベを読む暇が無いというお話ですよ。