赤朽葉家の伝説作者: 桜庭一樹出版社/メーカー: 東京創元社発売日: 2006/12/28メディア: 単行本購入: 8人 クリック: 148回この商品を含むブログ (506件) を見る

Amazon.co.jp特別企画】著者からのコメント
 みなさん、鳥取県紅緑村から、こんにちは。桜庭一樹です。
 この『赤朽葉家の伝説』は2006年の4月から5月にかけて、故郷の鳥取の実家にこもって一気に書き上げました。わたしは山奥の八墓村っぽいところで生まれ育って、十八歳で東京に出て、小説家になりました。昭和初期で時が止まったようにどこか古くて、ユーモラスで、でも土俗的ななにかの怖ろしい気配にも満ちていて。そんな故郷の空気を取り入れて、中国山脈のおくに隠れ住むサンカの娘が輿入れした、タタラで財を成した製鉄一族、赤朽葉家の盛衰を描いたのが本書です。不思議な千里眼を持ち一族の経済を助ける祖母、万葉。町で噂の不良少女となり、そののちレディースを描く少女漫画家となって一世を風靡する母、毛毬。何者にもなれず、偉大な祖母と母の存在に脅えるニートの娘、瞳子。三人の「かつての少女」の生き様から、わたしたちの「いま」を、読んでくれたあなたと一緒に、これから探していけたらいいなぁ、と思っております。
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吉川英治文学新人賞逃したなぁ。残念。時間の合間を縫って読み終えたよ。感想。桜庭一樹の(個人的に)良いところと悪いところが全部出尽した作品だったな、と。微妙にネタバレ。
まず。文章と話の厚みは今までに無いくらいに骨太。ラノベ修業時代にやられていた事がこうやって結実するのか、ああここは砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)でもやっていたパートの変奏みたいだなとか読んでて気づかされる事も多くて。意識的に書いていたところを今さらのように思い出させてくれるような部分が、やはり殆ど彼女の作品読んでるんで単純に嬉しい。

また、今までどの作品を手にとっても感じていた素描の面影を一気に払拭してくっきりと、かつ総合的にまとめたところとかは、いよいよ作品に色が出てきたなぁと思った。イラスト付いて無いのに。

だけども、すっきり素晴らしかったと思えない。多分それは桜庭一樹の別の面ももろに出ちゃってるからなんだろう。

例えば、時代を異にする赤朽葉の女達には共通点がある。それは「近代への苛立ち」である。万葉、毛鞠、そして瞳子(自由)、生きる時代も生い立ちも血が繋がっているにも関わらず全く異なるこの3人の女性達は一様に近代に対する苛立ちを共に抱いている。それは直接的に表明される場合もあれば、間接的に風景を通して私たちに仄めかされる場合もある。都市に対する憧れの混じった嫉妬、仕事における違和感であったりとか、地方都市に吹きだまる若者の群衆として描き出されたりとそれはかなり巧みに表現されている。

だが、もともと僕はこうした苛立ちを共有化することが出来なかったり、時に違和感を覚えていた。砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない (富士見ミステリー文庫)を読み終えた時も「これがライトノベルで出せるなら今の読者水準は高いんだなぁ」と思ったけども、それと同時に地方の中学生がこんなふうに都市に対する苛立ちを表明するものかな(確か「ここには東京にいらないものが全部あった」みたいなセリフだったと思う)と感じた。

「砂糖菓子」の場合、地方都市の一事件と少女的な自意識の変遷が上手く連関している気がして、それ以上いちいち考察していなかったが、そのシーンだけは何か具体的なきっかけを持たずに唐突に地の文で主役の語りとして挿入されていたために、逆に鮮明に記憶している。つまりそこだけが僕にとっては大分不整合だった、のだと思う。

さて、今回の場合はそうした不整合がかなり物語に根付いた形で提出されているわけだが、それはストーリーのラストにもかなり影を落としてる(ここからさらにネタバレ)。最終章では赤朽葉家の本家の娘であり、瞳子が主役だ。彼女は22歳になっても言えでごろごろしているニートなわけだが、ある事をきっかけに仕事を始めるが、また辞めてしまう。やはりこの時も作者はキャラクタに「都市、ひいては近代に対する苛立ち
」を表明させる。だが、ここでの見せ方はかなり上手い。唐突な語りでも何でもなく、かなり切実な彼女自身の肉声すら感じられる。

結果的に、彼女は家や歴史を意識して、それでも世界を肯定している。何かね、良いのですよそれは。正直泣きそうになりましたから久方ぶりに。だけどもそれと小説の評価は別問題かも。

「ガルシア=マルケスの『百年の孤独』のように国の歴史と混然一体となった一族の話を書きたかった。そうした一族が日本にいるなら山陰のような地方都市だろうって……」
http://www.yomiuri.co.jp/book/author/20070213bk12.htm

彼女がインタビューでも語る通りこの作品はガルシア・マルケスの「百年の孤独」から強い影響を受けている。そこから更にラストへの違和感と繋げて考えると、要するに彼女は「百年の孤独」に、上に書いたような近代への姿勢を読みとってるみたいなんだよなぁ多かれ少なかれ。だけど、僕はそういうふうに「百年の孤独」をそう読んでいなかったし(むしろあれはコロンビアの作家がどのようにして「ヨーロッパ的な小説」の枠組みから逸脱するかという小説ではなかろうか?)、日本に「百年の孤独」が持つ問題を移植したならば、こういうラストになるのかな…いやならなそうだ…と思ってしまったからだ。事前情報を持って読みすぎたのかもしれない、と言ってしまえばそれまでなのだけども。

散々に言い散らしてしまった後でなんだけど、僕は彼女の作品ではブルースカイ (ハヤカワ文庫 JA)が一番好きで、それは何でかと言うと最後に主人公が消失してしまうというラストに惹かれるからというしょうもない理由で。でも、彼女の描く少女のギリギリ感が良く出てるんですよ。うん。もしガルシア・マルケス的というのならむしろブルースカイの方にそれを感じるのですが。この赤朽葉もそうだったらもっと違った印象だったかも知れない、というかそれを期待しただけに何か肩透かしな面もあり、つまり気持ちを大きく持ちすぎたということか。

まぁまとまらないのでオワリ。