らき☆すたのCDを回収しに池袋に行った。雨。前も思ったけどアニメイトに行くには不相応な年過ぎて居心地が良くない。

昔はいい年した人がメイトとかとらのあなにいると「大人になってもずるずると自分の趣味を優先してる人」というカテゴライズをしていて、「幸せそうだな」とせせら笑っていたのだけど、いざ自分がよい年をして予約したアニソンCDを回収したりラノベコーナーをうろうろする立場に置かれると別に幸せでもなんでもなくて、「そうせざる得ないのでする」という極めて後ろ向きな状態であることに気づく。これは音楽にエネルギーの多くをつぎ込んだ人が、その方面を断念して一般社会に順応しつつある時の感覚に近いものだと思われるが、音楽の場合は「音楽が好きでレコ屋に来ているでパールジャムのTシャツを着た人」というキャラ立ちが通用するのに比べると、様々な困難を伴うように思う。特に平日。

そうした自らの趣味領域を実(表?)社会に拡張しないために、または隠蔽するためにアマゾンがありブログがあり、広く捉えればインターネットが役立つはずなのに、あまりそういうメリットは享受出来ていない。逆に最近は、趣味領域をますます先鋭化するのがインターネットの特徴になっていて、そこから降りれないし、降りるのには勇気がいるような気がする。

先鋭化というのは、純度が高い情報を得る確立が高まっているからで、僕のようにネット弱者であってもはてなブックマークRSS程度のサービスでそれなりの情報を取得出来てしまう事実が端的に示している。一方で情報の流通スピードも同時平行で高まっている(ように見える)ために、ひとまず間を空けてしまうと、前後の脈絡を失い、その時議論されているイシューが殆どつかめない。議論なんてしたことないけどね。ヲチしてもあんまり意味無かったりする、くらいの意味です。

さらに言えば、情報の取得を通して僕は一種の一体感をネットから得ている(はずだ)ので、一度断線すれば、それも失ってしまう。それは割合怖いと思ったりする。

ともあれ、「ラノベが好きで仕方ないので毎週金曜日は飲み会をスルーしつつ、とらのあな電撃文庫からラノベを物色しつつ最後はスーパーダッシュ文庫でしめてます」というキャラを演じるのが困難な以上、今後は立ち読みスタイルを改め、アマゾンにお世話になるかも知れない。出来るだけ本屋には行きたいけど。