S-Fマガジン 2007年 09月号 [雑誌]

S-Fマガジン 2007年 09月号 [雑誌]

ゼロ年代の想像力」を読むために買った。ネットで情報拾い読みしていたので特に目新しさはないようだった。基本線は東浩紀(とその劣化コピー)をしばくための文章なので、僕のような自意識過剰系以外の人が読んでもあまり面白くはない。ポジショントークなのか?(業界内ゲバ)とか同属嫌悪なのか?とか色々と考えたのだけど、言ってる事は普通だった。決断主義を抑止するためにセカイ系は役に立たない!というのが第3回の論旨。

ザクザクと読んでいていくつか思ったのは、彼もまたサブカルチャー神話解体の宮台真司と同じく作品の機能面に光を当てて読んでいて、それをもっと強調したスタイルなのかなと。あまり熱心な宮台読者ではないですが、作品(個別または複数のモジュール)が社会(システム)に与える作用または効果を算定してモジュールごとの意味づけを行うといったある種伝統的なスタイルなのかな…と。もちろんそこには評価者の思いいれ(または偏見なりその他の都合)が混じるので、余程ガリガリと統計を用いない限り客観的な影響調査にはならない。

あとは何だろうなぁ。主体(この場合はオタク)が行動規範なりなんなりを学ぶ際のメディアとして果たしてサブカルチャー全般はどう機能してるのかが良く分からないとかですか。いや、それが宮台スタイルで「作品とは行動規範である・社会モデルである」みたいな前提から入っているなら確かにセカイ系と言わずサブカルチャー全般はクズ以外の何でもないのですが、そういう地点から脱してサプリメントとしてサブカルチャーを捉えようというのがこのところの潮流では無かったのか、と。

ついでに、この評論の名前がちらほらあがりだした頃からここ⇒http://bmp69.net/mt/archives/2007/06/post_524.htmlの記事が気になっていて。それは、上のような機能云々の話とはまた全然話が異なるのだけど、個人が自分を動機付ける際に、それは主体モデルによってなされるのか?それ以外の選択肢があるか?みたいな話で。

ここでは一応の代替案としてlifehack系が提案されているわけだけど、その是非については置いておく。個人的には、宇野氏によって大雑把にセカイ系と呼ばれているダメ系オタコンテンツが実際には個人や集団においてどのように機能しているかが分かれば、それが実際害悪なのかそうじゃないのか判定可能じゃないだろうか。

まぁ何か大づかみ過ぎてピンときませんでした。次も載ったら読んでみたい。

それと、あんまり見かけた事が無いので記しておくんだけどセカイ系想像力の擁護者ってのはどこにいるのですか。エロゲからラノベに重心がシフトしたみたいな話はラノベリングとかでちらほら見たんですけど、セカイ系フレームワークは自分の批評ツールみたいな使い方してる人が殆どだったような気がするんですけどね。笠井潔とか?それとも新海誠とかが好きな人はガンスルーなのかなこの手の話は。

終わり。