[読書]
ウェブ社会の思想 〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス)
- 作者: 鈴木謙介
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2007/05/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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捉え方や話の進み方は違うけど、最終的に「人間工学対人類」という東・北田ラインの結論に着地。人間工学を設計出来る人間が最強。それ以外の人間はシステムを理解出来ないので触れても無意味だし、システム基盤を改修または編集する事が出来無い。だから私達はそれを知った上でもシステムの上で踊り続けるしかない、のか?という。
続き。手元に本が無いので雑に。本筋は読んだ事がある話が結構多くてそれほどでもなく。ただ「宿命」というキーワードが面白かった。個人の評価ポイントがますます客観的になり、機械が私達を最適な方向へと導こうとする、そもそもその時に私達は最適な選択以外は見えていない。僕が僕の人生に対する選択肢を判断するのではなく、あらかじめある程度未来は予測出来てしまう。つまりもはや単線にしか時間は延びていないという。つまり不確実な人生ではなくてもうある程度確定しているから宿命のようにも見える。確かに実際そういう環境に置かれたら私達は、そうやって人生を判断するようになるのかもね。
それに加えて僕はこの宿命論が、容易に他人に対する評価方法にも関わってくるような気がする。例えばあの人はこういう評価(ポイント)を持っている、だからダメだ。またはオーケーだ、というふうに。それが、まだ職場選びやアルバイト探しの時の私信になっているなら、現在の延長上なので驚かない。だが、それがその人の趣味、趣向や癖までポイント化されていったらどうだろう。
ある人は週末水泳をするという情報の履歴があったとして。彼の健康レベルや、水泳をする人の一般的な統計から人格まで判断することが出来るとしたら。やはり、それは客観的な人格判断になりうるのだろうか。水泳をする人:温厚・情緒安定とか出てくるのか。SF過ぎるとは思うが、実際そうなったらもしその人がそれは違うと言ってももう拒否のしようがない。いや、そういった抵抗すら抱かないのかもしれない。「私は温厚で情緒安定である」、そう考えて悩むこともない。
それが良いのか悪いのか分からないが、そんなような事を思った。寝る。