浜松町から羽田空港までゆりかもめ沿線には色々な施設があるが、東京沿岸部のあのあたりって「機能」をと凝縮して見せられているようで何か面白い。例えば、羽田空港は輸送という機能を集約したような場所だし、大井競馬場はカネが可能性に化ける場所、そして港湾にある物流倉庫群は物流統制の現場、整備場・新整備場という無機的な駅名はその名の通り「輸送」を整備する場所だ。

普段は全然意識しないが、東京はこういう機能を配置することによって外からやってくるヒトやモノやその他もろもろをぐっとせきとめまた私達が受け取れるように、整理し、細分化して、送り出している。羽田空港から浜松町に戻りながらその風景の変化を見ていると、そうした機能の息づかいが目に見える形で一望出来る。浜松町から空港に行く時は、全く反対の感慨が訪れる。それはかなり暴力的な何かだと思う。街や港が自らの姿を膨張させていく。無尽蔵に並べられていく倉庫群、コンテナ、作業用クレーン、トラック、プレハブ、赤くまたたく航空障害灯。港は何かをせきとめまとめていくために、自らを無機的になるよう強いている。

同じルートなのに、行き帰りが逆なだけで全然違うのが面白かった、というだけの文章。