散髪した。知人の家に行く時小田急に乗り、神奈川の女子高生に見とれている間に寝む気が襲い気づいたら目的地を過ぎており、慌てて上りに戻ったらその間にiPodmini(旧型)を無くしてしまった。iPodClassic、ゼンハイザーというメーカーのカナル型イヤホンを買いなおいした。全然関係無いけど、兄弟がまだ大学生で社会学を学んでしまっていて、時々その類の話をする。この前は、吉野家ルイ・ヴィトンのデカイ鞄を持った女の人に会ったという話から、何か日本では消費・信仰・労働という活動が本人の所属に全然紐付けられて捉えられないよねという話をした。イメージ先行で考えると、多くの国では本人の所属する階級などによって、ライフスタイルが強く規定されてるように見える。例えば、韓国の上流階級にクリスチャンが多いとかそういった現象。または、イギリスの階級による職業選択の選択肢の幅。またはフランスにおけるクリスチャンとイスラム教の住み分け。そういった出自によって消費・新興・労働その他の文化的ふるまい(ビヘィヴィア)が規定されていくという予測が、それほど上手く適用出来ない。もちろん絶対的な所得格差とかは、あるにはあるけど趣味とか宗教はそこまで連動しなさそう、という。また、何か日本では消費って一種の儀式であると同時に、つきつめて行くと、必ず抽象化された知識体系に束ねらる事が可能ではないかという話をした。また、ルイ・ヴィトンモノグラムとそれを好む人の生活スタイル、ニコニコ動画中毒の生活スタイル、宗教にお金を貢ぐ人のスタイル、例えとしての3者だけど、その3者の間に立場の優劣って多分無くて、何か等価なんではないか、と。ただその場合一番気になるのは、「宗教に金を貢ぐ」という活動も一つの消費なのか?という疑問。偏見混みで判断すれば、そうとしか思えないけど、でもそこは厳密性が薄い、宗教の機能が高度な消費活動と何ら変わる事が無いとか、かなり眉唾というかどっかで聞いた事のある、ウソっぽい話になりそうなので、やめる。