監督不行届 (Feelコミックス)

監督不行届 (Feelコミックス)

 何と言おうか…複雑な気持ちにさせるであろう本。もちろん安野モヨコ好きな人はエヴァンゲリオンの監督とのノロケ話くらいにしか思わないだろうし、エヴァンゲリオンを見ていた人でもああアンノ監督も落ち着いたんだなくらいにしか思わないのかもしれない。じゃあどんな人が複雑になるのか…と言ったらエヴァを真に受けてしまった人だ、ろうな。とっても気持ちの悪い話なんで見たい人だけ読んで下さい。
個人的な話
ちょっと前置きすると、管理人はエヴァを真に受けてしまった人間だ。もっと正確に言うなら映画版ラストのアスカのセリフをかなり真に受けて今まで引きずっている人間である。無論、真に受けるかどうかもかなり個人差のある話ではあると思う。エヴァを普通に消費してそのまま真っ直ぐ成長していった人もいるだろう。誰もがシンジ君であったわけではないし、エヴァを見た人が揃ってあの作品の問題提起を共有したらそれはそれで、「気持ち悪い」話ではある…。当時庵野秀明が言った「日常に帰れ」というセリフそれ自体、帰るべき日常すら持てない人間にはさほど意味をなすものではなかった。日常が壊れているからアニメに、ゲームに逃げる、そしてそこに留まるのではないのだろうか。エヴァ当時、自分はそう思った記憶がある。そしてそもそも帰るべき日常ってどこだろう…という疑問がついて回った。
そんなわけで
極めてマジレス体質な自分は、そういうもやもやを抱えつつ、自分はエヴァを自分なりに片付ける事にやっきになっていったと思う。庵野監督に関する記事を集めまくったし、本も相当買った(そう言えば本をよく読むようになったのはこのころだった気がする、どちらにしても痛々しい過去だ…)。庵野監督や鶴巻監督に会えるかもなどという淡い希望を抱きつつ、今は無き三鷹ガイナックスショップに足を向けたこともあった。鶴巻監督が乗っていると言われていたビアンキ製のミント色をした転車が置いてあったこと、UCCの自販機がエヴァ使用になってのを見て本の通りだと思ったこと、店に入ったものの緊張して何も買わずに出ていってしまった事を憶えている。実に気持ち悪い少年だ。
一方で
そういうゴミゴミした自意識と周囲の環境との折り合いみたいなものは全然付いていなかった(もちろん今だって付いて無いけど)。エヴァがマスメディア的に消費され尽した2000年あたり自分は高校生だったわけだが、今から振り返ってみると、鋭く残酷な環境におかれていたようにに思う。まずはオタクという身分がバレたし、更には他県の学校に入学したせいか、多くが地元の友達と固まっている。オチとしては、初対面でクラスの中心人物に嫌われたのか、何故かクラスで孤立状態。じゃあ理想の人間関係をつくれよってことになるのだけど、ネットも無し。携帯も持てなかった。まぁ一番の原因は、大して頭が良くないわりには勉強に逃げ込んだせいで形作られたエセエリート意識だと思う(当時の知人に大学に入学してから話した事があるが、「あのときの君は偉そうだった」という印象だったらしい)。イタイ。ひたすら後ろ向きなこうした高校時代は、そういう自意識を発酵させた。それとともに周囲の軋轢は加速度的に増していき、学校に行くのも苦痛そのものになってきた。
そんな時
何をしていたかっていったら、エヴァを見直してた。ひたすら。もう何回でも。見過ぎて放映当時に録画しておいたVHSのビデオはいつしか見れなくなった。そして、ビデオを買いなおしてまた見た。最終的には話ごとの作画監督を記憶するまで見たはずだ(今は忘れた)。家に帰って、エヴァを見るために学校に行くような日常だった。そのうちどちらが目的なのかもさっぱり分からなくなった。辛いからアニメを見るのはずが、悩むために学校に行くような、そんな感覚だろうか。ちなみに渋澤龍彦は、そのような悩むために悩むようなメンタルの持ち主の事をマクベスコンプレックスと言ったというようなしょうもない知識も、当時仕入れたのは言うまでも無い。そんなふうに、エヴァをループ視聴する事で、何とか学校に通っていた自分だったが、そのうちエヴァのどうしようもなく、救いがたい構造にも気づくようになる(遅い)。
映画版の
最期、「気持ち悪い」というセリフ、結局そこが作品としてのエヴァンゲリオンの終わりでもあり、自分の現実世界への起点でもあるというこの構図。スタートからして気持ち悪いという原罪意識を無理やり背負い込み、疲れながらまたアニメに戻ってくる。そして…以下略。でもね、こういうループって傍から見ると好き好んでやってるようにしか見えないんだな。今考えると、実はあのころ悩むのが好きだったのかな…とも思う。そして、庵野監督がエヴァ以降悩んでいる姿(アニメが作れないという彼の姿)に、自分を重ねていた。そして(会った事も無い)庵野監督に勝手にシンクロして、妙な連帯意識すらあったのだと思う。彼が自分の問題が処理出来ないことと、、現実世界で上手くいかない自分を重ね合わせてしまう、というような…。しかしいつしか、そうやってうだうだしていること自体が、それで良いのかな、とも思えることも大分増えたような気がする。仕方が無い、とは思わないが、そうやってうだうだ上手くいかない、その状態そのものに酔いを感じていたのかもしれない。でも、良いんだ。庵野監督もそうなんだから、と。ずっと自分はこうやってダメダメなままなんだ、と。だんだんそうやって後ろ向きな自己肯定をやっていたら、高校生終わってた。何なんだ。でも前向きにしろ後ろ向きにしろ自己肯定というのは大事なモノで、安定していれば友達も出来る事は出来た。それは意外な発見だった。まぁでも勿論もてたよ!みたいな展開はなかったわけだが。
ととこが
2002年に監督が結婚という話を聞いてショックだった。宮台真司が結婚した時よりも100倍はショックだっただろう。日常に帰れなくて懊悩する庵野監督は、どこかの誰かとあっさり人並みの幸せを手に入れてしまったのですよ!(すいません、安野モヨコさんのマンガは凄く楽しいんです…でもその時は脊髄的にそう反射してしまったんです)。こういうのを駄々というのだが、僕は間違いなく悩んでいる庵野監督が好きだったんだろうと思う。そして、あっさり日常?に回帰したように見えた庵野監督が許せないんだろう…。実際はそうではないかもしれし、彼には彼の苦しみがあるだけの話なのだが…。とにかく裏切られた感覚があった。そして、マンガにあるような幸せなオタクライフを送っているカントクは、今僕の正視には絶えない…。あまりに眩しすぎて…そして愛憎混じった感覚が蘇るから。お二人ともどうぞお幸せに、としか言えない。マンガはとても楽しいです、庵野監督が凄く幸せそうにしている、ネタにされているという事がどうでも良い方ならどなたでもどうぞ。
リンク
庵野秀明公式Webサイト
監督の公式サイト。
安野モヨコ オフィシャルウェブサイト 蜂蜜
奥さんでもある安野モヨコさんの公式サイト。
庵野秀明 - Wikipedia
wiki
PROJECT REI : 庵野秀明発言集のアーカイブ
庵野監督の発言がまとめられています。かなり充実。