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上のまとめにあがっているエントリーを眺めていて。
「涼宮ハルヒの憂鬱」は結局のところ「ポスト・エヴァ」なのか? : 小心者の杖日記
こうした盛りあがりを見ていて思い出すのは、やはり1995年から放送された「新世紀エヴァンゲリオン」です。「新世紀エヴァンゲリオン」も「涼宮ハルヒの憂鬱」も、マンガは「月刊エース」連載。しかし「新世紀エヴァンゲリオン」の場合は、本放送で盛り上がったのは一部のアニメファンが中心で、大ブームへとつながったのは再放送が行われてからだったと記憶しています。マニアの受難なんてサイトもありましたね。
当時ネットには繋がっていなかった自分としては実感の無い話ですが、ネットが後押ししたという共通点はあるのかも。
そう考えて見ていると、涼宮ハルヒは惣流・アスカ・ラングレーに見えてきますし、長門有希は綾波レイに見えてきます。ただ気になるのは、「新世紀エヴァンゲリオン」と「涼宮ハルヒの憂鬱」では世界観のスケール、作品としての深さに差があることです。
僕にはそうは見えなかった。アスカっぽいキャラも綾波みたいなキャラもいやというほど見てしまったからな。
「涼宮ハルヒの憂鬱」の中でも突出して面白かったのは、最初に放送された「朝比奈ミクルの冒険」でした。「萌え」どころかアニメーション自体にも批評的であり、しかも過剰に自己言及的な内容。
アニメ自体に批評的ってどういう意味だろうか。過剰に自己言及的な内容は「キョン」の一人ツッコミを指しているのだろうか。
近年大ヒットを狙った印象のアニメでは「交響詩篇エウレカセブン」がありましたが、一部のサブカル界隈で話題は呼んだものの、ブームを生み出すまでには至りませんでした。
いや、そもそもブームの基準とはなんなのでしょう? 「新世紀エヴァンゲリオン」は雑誌メディアが続々と追随して世間でのブームを形成していきました。しかし、まだインターネットが話題の中心の「涼宮ハルヒの憂鬱」も、各種売り上げチャートで大奮闘しています。もはやブームと呼んで問題ないでしょう。
「新世紀エヴァンゲリオン」から11年、インターネットの普及はブーム形成のシステムを変えてしまったのかもしれません。
エントリー全体としては涼宮ハルヒの憂鬱はブームである、ということを指しているに過ぎずエヴァと比較するにはやや主観的であるように感じました。
しかし、こういう楽しみ方が恐らく涼宮ハルヒの憂鬱を消費していく上では最もあるべき姿なのでしょうね。