selim2006-09-14

昨日のかんそうの補足なんだけど、東京トイボックスがサークルをテーマにしたマンガっぽいなぁと思ったのは一緒に読んでいた究極超人あ〜るが多分に影響している。鳥坂先輩の進化系が天川太陽に見えて仕方がなかった。年齢的に見ても究極超人あ〜るが少年サンデーに連載されてたのが昭和61年で、マンガとリアルタイムの時制が一致してたと仮定すると今鳥坂先輩は38歳でゲーム業界で働いてそうに見えたから。や、もちろん一巻の公式設定によると天川太陽は33歳だしこじつけでしかないのだけど。5年。どうなんだろうそのタイムラグ。ゲーム業界で5年ってハードが時代遅れになるには十分だしやっぱりこじつけか。あ、でも天川太陽が少年サンデーで光画部に憧れていた可能性はあるよね13歳の時に。

あとハチミツとクローバー10巻も一緒に読んでたのでその妄想が加速された感は否めない。ハチクロに関しては良かったな、というかんそうしか出なかった。真山君、大人になってしまったな。あと修ちゃん先生のポジショニングが清めの塩―変な例えだけど―のような扱い。はぐと一緒になれるというのに嬉しさ半減では無いか。楽しめたのだけど、風のように通り過ぎて行ったマンガになってしまった。この作品を誹謗中傷する人はあんまりいないのだろうけど(逆にふるまいとしての否定はいっぱいいそうである)、力いっぱい絶賛する人もいなさそう(ふるまいとしては以下略)。根本的な話として、これはそういう力そのものを奪っていくような。最近はやりの空気系の一種?

げんしけんも次巻で終わるしハチクロも終わったし、ヨイコノミライも4巻で最終巻と聞いたので文系サークル話はちょうど良いのでもうよそう。どんな作品を見ても「あ〜こいつサークラだぜ」とか、「あ〜オタクのちょろい妄想が具現化したような頭悪そうな女だぜ」「あ〜スクールカースト的に自分が一番近いのはクッチーだよな」みたいなはてな的としか言いようの無い評価軸を持ち出してしまう癖が付き過ぎている。結果何が起きたかというと、あらゆるコミュニティをテーマにした作品にそういうそれを当てはめて楽しんでしまうというかヲチしてしまうという救い難さがこう胸の中にもやもやとして実に健康を害している。なので太陽のイッセー尾形では無いけど一端「はい、終わり」という事にしたい。