一日外にいたせいでラノベ読んでない。というわけで最近そればっかだけどその筋の話題ではないです。

帰宅してから「さぁオレに新たなオタク論を書かせるようなナイスエントリーはどこかなーカモーン」とはてなブックマークを非効率的に見ていたら何かkamei_Souka_Attackというタイトルの注目動画があったのでいよいよ鳥肌実が最も尊敬するアーティストである彼が国会に登場する予兆かなと思って見てたら亀井静さんが出ていた。自民党辞めてしまった人が。

難しい事は分からないのだけど、亀井さんが元気だったなぁ。何故元気なのかというと当然彼のフットワークが良くなったからだ。つまり彼は今野党に属している。「元」自民党員なのだ。その党のしがらみから解放されたわけだ。庶民には分からないおいしそうな何かの分け前をゲットする代わりに彼は発言する自由を得た。素晴らしい。

と、ここからが妄想時間なのだけど、確か自分が年端も行かないジャリっ子だった時に自民党は下野していることを思い出した。細川首相とか村山首相がいた。あと誰だ。覚えてない。羽田かな?あの時の自民党は凄く元気だった気がする。庶民(以下略)の分け前に関連するしがらみは存在していたのだろうけど、権力からのフェードアウトは直接的にではないにせよそのしがらみからもフェードアウトする事を意味するんだろう。だからきっと彼らは元気だったのだった。多分。自身無いけど。

下野というのは恐らく戦争状況に例えると、第二次大戦におけるフランスのレジスタンスみたいなもの?物資も無い。武器も無い。頼りになるのはナチ公がいない時にナチうぜーよという空気を垂れ流す己の口と散発的な生活インフラの破壊活動の二択しかないという苦しさ。でもまぁきっとナチスという組織に対する相対的自由度は流石にレジスタンスも感じていただろうしその相対的自由度というのが、単なる戦略的なそれに留まらず精神的な自由であったのは(有体に言えば個別の戦闘員にかかる責任が軽いとか)想像するに難くない。いや、そういうことにしておこう話進まないから。

野党とはそうした個別散発的な行動におけるフリーダム(この英語、使い方あってんのかな)を獲得しているわけである。だからその利点を活かすべきだが、昨今の動向を見る限りどうやら最も元気そうなのは亀井とか綿貫だとか元自民党員だ。やはり下野した後に返り咲くという経験が彼らに自身を与えているのだろうか。不明。とにかくどちらにしても今後もしがらみがある人が権力側にいるのは間違いなさそうだなと確認した。

でもよくよく考えるとこれも不思議な話で何故しがらみがまだある人の方が強いのだと。社民党何してるの!共産党はデモの準備しなくていいのっ?不思議だ。別に応援はしないけど、もしある朝テレビを点けた時に福島瑞穂と志井和男が二人して首相と殴りあってたらそれだけで今日が良くなるような気がするのに。少なくともあの原色バリバリのスーツを着て画面一杯に写るより余程ハートウォーミングではないだろうか。そういう身体性の発露って近代的なポリティクスの中ではご法度ですかそうですか。でも楽しそうだなぁ共産党とか押井守の作品を見る限り、実践>理論な人ばかりなイメージがあるのでモヤシっ子で鍵っ子としては憧れるのだけど。ダメか。

脳から何かが溢れた。きっと疲れてるんだろう。読んでくれた人はありがとう。