テヅカ・イズ・デッドとキャラクターあとライトノベル

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ

12日くらいにまとめたかったのだけど、春先の忙しさから間が空いた。

さて。このところマンガ評論であるテヅカ・イズ・デッドを読み返していたら、マンガという枠を外しても色々と興味深いところがあったのでどっか新しいを視点を見つけられればいいな、という気持ちでメモっていた。

で、伊藤剛氏の評論を引用する前に本自体の要約と感想。

  • マンガに対する評論というよりマンガ言説に対する評論である。評論家や書評家がとりあげない、またはとりあげる価値が無いと判断した作品が読み手に支持されているのは読み手の質的な退行ではなく評論側が機能していないのではないかという態度のもとに、今日まで支配的であった言説傾向の分析から「読み」の切断面を見出そうという意図のもとに書かれている。
  • そしてそうした言説を補完するために存在していた作家として分析されるのが手塚治虫である。
  • 「前キャラクター性」と「キャラクター」を分割したあたりは疲れきった萌え世代として頷く箇所が多かった。マンガの中の「人間」がくだんねぇからこれはツマランと思う一方で安易に萌えに釣られるオレには分かりやすすぎる。
  • 作者と読者の関係を「送り手」と「受け手」として分けるのではなく、循環システムの要素として捉えなおす。
  • 「低俗」と言われるものも含めて議論するのは大変。でもそれを抑えないと説教化した批評(いや、あんなの低俗な○○○じゃないですか、というような)しかなくなっちゃうのでこういう話は必要。でも真似は出来ないなー。
  • 他のジャンルとの近似でマンガを語るのは近代の産物!ジャンルの固有性を見つめないと。
  • 「マンガがつまらなくなった」っていうのはあんまり考えた事が無かった。子供の時はジャンプが好きだったし今は雑に読んでるだけだけどつまんない作品はどこにでもあるし、というか昔もつまらないのはあったし…。ただ昔好きだった作品群と現在良く読む作品群に距離があるのは感じる。
  • 具体的にはジャンプに連載されるマンガの質的変化が自分にズレを感じる。「これガンガンとかで連載してても違和感なくね?」みたいな作品がジャンプに載ってたりする現象。
  • 「マンガがつまらなくなった」というより「ジャンプがオタク化してる」のがしっくりくる。昔ジャンプは自分にとってはオタクっぽいマンガが読めない雑誌だったのに今は普通に読める。
  • コマの話。これは…理屈として理解して体感できない話であった。どうしても自分はコマにある(であろうカメラの)視点がきになってしまうしその連続でマンガが成り立ってるように誤解つーか誤読してしまう。だからいまだに特定の少女漫画を読むのは難渋する。
  • ガンスリンガー・ガールの話について。「マンガのおばけ」と「ウサギのおばけ」というポイントがあるので分かった気になるけど、出来れば従来的なマンガとの違いについて技術的にアプローチして欲しかった。というのも「手塚的なストーリーマンガという表現空間」が「GUNSLINGER GIRL」によって閉じられた、と説明してるわけだから抽象的な筋だけでなく、「GUNSLINGER GIRL」がそうしたストーリーマンガの技法をどう終わらせているのかも含めて言ってくれたらなと。伊藤剛は結構この作品に入れ込んでるのかなーと思った。
  • 話が前後するけど竹内オサム関係の話はいちいちつっかえる。その原因は分かっていて、竹内オサムの議論がクリアでないせい。そのクリアでない議論をこれまたいちいち分解しているので、難しかった。
  • 全体的に萌えヲタ+第3世代にはうってつけな評論。読め。ついでとしては、周辺文化(特にゲーム)と隣接したマンガのリアリティの話とかもっと読みたかった。まぁ東先生が今度動ポモ2出したのでそれは無問題か。女性版動ポモマダー?俺たちの薄っぺらなリアリティを吹き飛ばすくらいの爆弾希望。

とりあえず本に対する感想は終わり。次に気になったところの引用。

つまり、ガンガン系の作品群・雑誌群と、それ以外のマンガの間には「断絶」が存在しているといっていい。彼らはガンガン系の存在自体は知っている。知っているが、たとえば「近年のマンガ」という主題で語る際には話題の対象から外す。それも、無意識的に除外されているようだ。

(中略)

ガンガン系の作品群は、なるほどくだらない。絵も決まり切った絵柄ばかりである。ストーリーは薄っぺらで、人間は描かれていない。だが、そうした批判的言辞は、すべて「マンガ」の外から、「マンガ」に対してなされた紋切型の反復なのではないのか。①

テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へより引用。以下断り無い限り本書より引用。

いがらしは、東のこうした論考の発表に五年先立ち、「物語」の終わりをいい、その後にくるものとして「データベース」という概念を提出した。東のモデルを参照しつついがらしの発言を見なおすと、「作品」を統御する超越的な一点として「物語の話者」をとらえることの限界が指し示されていることがわかる。②

つまり、『NANA』に対して「キャラが弱い」といった少女のいう「キャラの強度」とは、テクストからの自立性の強さというだけでなく、複数のテクストを横断し、個別の二次創作作家に固有の描線の差異、コードの差異に耐えうる「同一性存在感」の強さであると考えることができる。この「横断性」こそが、重要な点なのである。③

まず、ひとつのテクストの内部でどんな表情、どんな方向を向いていたとしても、同じキャラであると認識されること。これがキャラの条件だ。逆に言えば、複数の「異なった絵」が「同じ存在」と認識されることで、「キャラ」は成立したといえる。つまり、キャラとは、その成立に際して何らかの形での時間的な連続性と非連続性を同時に必要とする。④

以上で引用終わり。①・②・③・④を読んで思ったことを以下。主にライトノベルに関連したことなど。

  • かなりアレなネタだけど、①にもあるように「マンガ」の外から「マンガ」に対してなされた批評があるように、「ライトノベル」にもそういうのがままある。だが…このテヅカ・イズ・デッドの流れを受けるなら、やはり「ライトノベル」に固有の形式、表現を見出さなければならず…果たしてそういう文章技法とはあるのか。そもそも「ライトノベル」に固有の表現形式があるのだろうか。外見上は表紙のイラストや口絵という判断材料があるけども。
  • ②について蛇足気味に。一般的に、個人に負うところが大きい表現スタイル(小説とかテキスト系はそこに含まれそう?)だと作家論や作家研究も有効に思えるけど、それこそアニメのような集団作業だと作家性や作者の位置づけはそれこそどこに求めるの?という話と受け取る。音楽でもアーティストのクセだけでなく所属しているレーベルや、プロデューサーも含めて語られるわけだし。こっからは全然思いつきだけど最近のライトノベルにも所属しているレーベルや担当さんが結構作品に対して影響ありそうだし。
  • ③について。や、ただ漠然と二次創作に引用されやすいキャラっているけど、そういうキャラはまずそういう「横断性」いかんで引用される/引用されないが決まってるんだなぁと関心しただけなんだけど。あ、でもこのへん良く分かんない。ストーリーに隙がある方が二次創作しやすいっていう人もいるし。
  • ④について。こっから超理論だから良く見てろー。えーと前から思ってたんですけどラノベではそのキャラと密接に結びついたモノとかしぐさとか何かあるじゃないですか、読者にこのキャラ出てきましたよっていう合図が。あれってこういう連続性を強く意識されるんですよ。ギリシャ神話でも、ある神がストーリーに出てくる時って絶対枕言葉が出てくるんですけどそれに似てるよなーと。塩野七生が「ローマ人の物語」に書いていたのだけど、昔の民話や神話は話が長くなるので、聴き手(そういうのは大体口承だから)を注意させるためにそういう枕言葉を使っていたらしく。何故か自分がラノベっぽいなーと感じる瞬間ってそういうのが出てくる時であり、個人的にはそういう表現に注意を払っていたり、伝え方が上手いラノベ作家って表現に意識的な人かなと思ってる。いや、きっと会社やクリエイター専門学校でもそういう技法を伝授してるんでしょうね。
  • その他。箇条書き楽。
  • ラノベに引き付けて「キャラ/キャラクター」や「横断性」について考えてみたけど、色々と問題点だらけ。とりあえずイラストの存在ガン無視してるんで。④の関連で言えば、オレ自信はイラストと文章が上手くマッチしている事=フォーカスされた作品ってことになる気がするけど、近年のヒット作を見ればそんな個人の意思など軽がる吹き飛ばされることうけあい。少し前にこういうのもあったし。

75 :愛のVIP戦士 [sage] :2007/01/30(火) 15:11:43.26 id:jum0SV7l0
>>1はもうちょっとなりきりとか日本語とか練習してからスレ立てろよ。
本業の癖に同業に「イラストのお陰でヒットした」とか言い過ぎだろ、常識的に考えて。

あれ、マジレスしてんの俺だけ?

>>75
いやマジで! イラストが売れ行きを左右する要因なんだって!
有名な絵師にあたったら作家もめっちゃ喜ぶもん
http://www.kajisoku.com/archives/eid1110.html

だよねだよねーやっぱイラストだよねー。まあ。この人がホンモノのラノベ作家だという前提で話を進めれば、作者と読者の実感に距離がありすぎる。ブログで感想をアップしてるくらいの人になると、結構深い読み方をしてる人もいる一方でこういう話もあるしなーやっぱイラストかよー。あと商売って割り切ってるってのはマジか。割り切ってるヤツの名前教えれー。

  • と、まぁイラストとテキストの関係に注意して読んでみようとは思う。けど、仕組みについて云々はきっとエロゲをやってる人の方が得意そうだし、そういう人にお任せすれば良い。
  • 次に浮かんだ問題としては従来の流れを無視してラノベを語るのは無理筋。一つにはジュブナイルという歴史の重なりを現在のライトノベルにどう接続するかがかなり苦しい。一方でキャラビジネスの一環として特化したという経緯もラノベにはあり、しかし従来のジュブナイルノベルという流れもありーのでそこはどーするという。
  • 最後の問題は、今まで一般文芸で行われていたテキスト分析はライトノベルにどうつなげるのかという…あーこれこそ無理っすよ。あ、ブンガクの側からの説教もライトノベル側からの自己卑下と開き直りも勘弁して下さい。そういうのはウェブ上でお腹いっぱいです。

妄想終了。