最近あんまりまとまらないエントリーが多くてやれやれなんだけど。

とりあえず今は各人各様に色んな生き方が許されている時代だとして、それのメリットデメリットがあるとして。どちらかを強調する立場にはあんまり惹かれない。微細な現状分析や個々の場面によってはそういう事もありうるし基本的にはそうやって毎日を過ごして入るけど、基本的にものごとは表裏一体・相互補完と考える癖がついているのでマクロ視点で論じる場合に「良い/悪い」という価値判断を差し挟む人や論ほどますます信用出来ないし距離を取りたくなる。

個人的な話をすれば良い年をしていまだにアニメを見てアニソンを聞いていられる環境は肯定しておきたいし、それによって受ける不利益があったとしてもまぁ収支は合ってると思う。昔なら僕は「ああいう人もいるよね」ではなく「ああいう人はいないほうが良い」という扱いだっただろうし。

世間知らずな意見だろうけどもまぁそこはそれ。

さて。ある時ある場所で、良い年をしてやるべきでないとされている趣味を続けていてどんどんデメリットが増えていく事を憂う人が説得にやってきてあーだらこーだら言う。まぁそれ自体は構わないんだけど、大抵そういう人達は説得ベタである。または、メリットの全否定から話を始めようとする。そして聞くほうは萎え切る。そういうのが最近多い。自分に直接関係あるところではないのだが。

概して人が怒り出すのは自分の築いてきたものを否定された時である、と言ったのは誰だか忘れたがというか誰も言ってない気もするが、人生の大半をかけて築いたモノをゴミですねと言われるのは苦しい。そこにかけた精神的な労力や経済的な投資は大変なものなので。そしてそれはゴミではない。少なくともその人にとってはゴミではない。ただ多くの人が望んでいないので一般的価値が低いだけである。例えば脱オタ系のエライ人達であれば、読み違えているのはそこで主観的価値観と客観的価値感を完全に混同している。そこが弱い。まぁ人格改造する際には自分の基盤を否定するところからスタートするというのが一般的メソッドらしいので、ある種のやり方かもしれないけど。

どうも最近自分の置かれている環境を見失いがちだったのでそこらを整理したかった、という意図のエントリーでした。オチは無い。