ゴールデンウィークスタート近辺の出来事など。

金曜日は気重な案件があったのでそれをかたづけていた。膨大なお金と時間と人をかけたあげくに、僕のせいで案件は失敗に終わった。人はこうやって信頼を失っていくものなのかな。

土曜日は前日のストレスをかき消したくて、知人を誘ってファスト風土を思う存分満喫した。ダラダラしたロードサイドの風景を楽しむのに必要なのは、まずアニソンであり隣にオタクがいることであり、そしてゲーセンでありコンビニでありブックオフである。あとファミレス。目の前に広がる救い難い光景を楽しむには常に身体的刺激をマックスにしておけば良いと思う。特に休みはそう。

とにかく大きい国道走って、普段行かない土地に足を伸ばす。そして一緒にいる人にはくガス抜き出来るように気分をもっていって喋りたい事を話して、相手にも喋って貰う。話すのに飽きたらゲーセン行ったりブックオフで読みたかったマンガを買いまくる。そしてウニクロに寄って、靴流通センターに寄って、ドンキホーテにも行って、自分の中の最安値をどこまでも更新させていく。モノに対するこだわりをどんどん無くす。でも選択肢は増やす。郊外の楽しみはそれに尽きると思う。

結局7時間以上も車に乗り続けた。ブックオフに行って読みかけだった高橋しんの「いい人」と、高畑京一郎の小説と知人にすすめられたマンガを2冊買った。ゴールデンウィークはこれだけあれば十分持ちそうだ。

日曜日はまた別の人が引っ越すというので、何かJR総武線中野駅まで車で連れて行かれた。ちょっと中野ブロードウェイに寄ってみたかったんだけど(一度もまともに歩いた事が無い)、部屋の採寸したりとかガスコンロ買ったりとか色々するというのでその予定は取り消された。それで昼飯をおごってくれると言うので中野駅の近くにある佐世保バーガーの店に行った。初めて食べたけど、結構お腹一杯になる。それと食べた時は凄い満腹感があるけど、それが全然持続しないのが何かヘンだなと思った。良く噛んでないだけか。

その後、大体段取りどおり進んだので暇になってIKEAに行こうという話になった。すげー今さらなんだけど、でも行った事無いし、やっぱり行くかと。スウェーデンのオシャレな家具ですよ。サブカルの人が好みそうな(偏見)原色のイスとかが売ってるんだろうなとか想像しながら一般道でタラタラと音楽聴きながら行った。昨日と比べると、音楽は非アニソンになり会話は世間様寄りになり煙草の数量が増えた。ゴールデンウィーク最初の日曜日にIKEAに行くという行動が今最もありふれた行動だったらイヤだねという会話をしつつ僕らも結局そこに向かっているというもどかしい矛盾。

果たして日曜にIKEAに行くという行動は大変トレンディだったようで、そこに向かう道が既に混んでた。つっても千葉で一番車が混むネズミの国よりは空いてた、気がする。渋滞っぽかったのは20分くらいでちゃんと駐車場には入れたし。

IKEAは全部で5階建てで、上3階は全部駐車場になっている。広い。室内スキー場の跡地に建てたらしい。中は1階が天井まで在庫をぶっ積んであるフロアが眺めとして面白い。アマゾンの倉庫をドキュメンタリーで見たけど、あれに近い感じでたかーい天井に在庫がただ雑然と積んである。そして在庫が積んである棚の間に商品サンプルのイスとかがづらづら並んでいる。値段は安さを求めればどこまででもいける気がした。原色の真っ赤なイスとか緑のイスとかが6000円くらいだから回り見ても財布の紐がゆるゆるで、凄い人だと3つカートにのっけて方に担いでる人とかいた。皮張りのイスでも1万円台で買える。デザインはシンプルで余計な装飾が付いてないヤツ、くらいの認識しかない。商品ごとにデザイナーがいるみたい。

2階は下の階の在庫の組み合わせサンプルを演出してあるフロア。どの商品をどう組み合わせればこうなりますよ、というスタイルサンプルの小さい展示スペースがいっぱいある感じ。いやーこれ千葉県民の住宅模様が一変しそうだな。あと細かいモノが100円くらいで色々変える。単三電池10本で190円とか靴ベラが99円とかシューキーパーが89円とか木の割合太めなハンガー4本で498円とか。何見てるんだろう。

いちいちあれも安いこれも安いこれはデザインが面白いと立ち止まってたりしてたらだんだん疲れたので2階にあるカフェみたいなトコで休んだ。その後は下の階でスウェーデンのポテトチップを試食して駐車場に帰った。

IKEAを個人的にまとめるとこうなる。

  • まずモノが多過ぎて把握し切れないのでまずネットhttp://www.ikea.com/ms/ja_JP/local_home/funabashi.htmlである程度自分の欲しいモノを確認しておく必要がありそう。
  • ご丁寧にもIKEAにはお買い物をする際に使うメモ用紙と鉛筆まで入り口で貰うことが出来るが、のんびりプラプラするには人が多過ぎてメモを取る気分にはなれない。
  • いちいちデザインと安さに驚いてるとフロアが広いために時間が無くなるので、立ち止まらない。それと店員が少ないので質問があったらすぐ聴いた方が良さそう。
  • 車だと入る時より出る時に時間がかかる。
  • IKEAでは紙袋が有料なので、大きめの買い物袋があると便利。
  • 原色の真っ赤なイスがやっぱりあった。もうイームスとか買わなくても、気のきいた部屋が手軽になる!はず。知らん。

以上。その後はもう1人車で拾うということで今度は千葉から溜池山王まで行った。

港区で拾ったその人はカメラを回す仕事をしている人であるため、何となくそういう会話が出るし、僕もそういう話は普段あんまり縁がないためにそういう話をいつもさせてしまうのだけど、今日はそこから何故か現代アートがどーだこーだという話になってそれがちょっと面白かった。

まず、最近の現代アートというのはコンセプトというのがセットになっているのが常態かまたはそれが必要される空気がある、と言うことをカメラの人が話してくれた。ここでいうコンセプトとは具体的に言えば企画意図みたいなものであり、「このアート(絵画から空間コーディネーションみたいなものまで幅広く含めるそれ)はこうした文脈の元でやります。それは…」ということらしい(うろ覚え)。それはドキュメントという体裁をとる時もあるし、自分の中での完結したロジックという段階で止まる時もあるらしいのだが。

次。そうした表現と言葉の両輪でものごとが進む現場ではいくつかの問題があり、まずは評論家の力が強いらしい。評論がコンセプトを練る段階に影響を及ぼし、また創り手も評論家の文脈に沿った作品づくりを意識してしまうようだ。またもっと俗な話としては、キュレーターの力で自分の作品をパブリックな場所に引き上げて貰うように努力しなければいけないのだとか。

さらに現在では、そうしたアートのコンセプトを表現者の側が「分からない」と不明瞭にするのは、アート界では歓迎されない振る舞いであるという。

そうした一連の事情から、カメラの人はアート界に違和感を持っていて、それは要するに「言語化出来るものが果たしてアートだろうか?」という事らしい。コンセプトで表現出来てしまう事が果たして作品か?と言うことらしい。それと「言葉を使うだけの人にどうしてモノを創る事が理解出来るのだろう」という事も付け加えていた。

で、僕は「評論家でも新しいパノラマを見せてくれる人なら良いと思います」と言う事と「村上隆って現代アート的にどういう立場なんですか?」ということと「コンセプトって小説に読み方がついてるようなものですか?」ということを質問した。

第一の質問で僕の頭の念頭にあったのは「評論も創作活動だから」であったのだが、やっぱり実際にカメラの人はその現場近くにいた実感として、「コンセプトにきゅうきゅうとしたり評論家を意識したりするのは…」という気持ちだそうだ。というか僕は現代アートを専業にする人がそこまでコンセプトというものに気を配っているという事実そのものを知らなかったので話はそれを巡る態度の話になりその後拡散していった。まぁ仕方無い。

第二の質問には「村上隆は良いキュレーターが海外まで引っ張って行ってくれたのが大きい」という話をしていた。日本では現代アート界隈でもそれほど良い顔をされていなかったのが(オタクからも良い反応は貰えなかったなぁ)、海外での高い評価から話が変わったらしい。ふーん。余談として、現代アートでも確かに一枚何百万円するような作品があるにはある(会田誠とか)。しかし、そうした表現者も文脈を理解していない人にはなかなか届いていない。オタク化している気がするとかそんな話が出た。

第3の質問に対しては「ちょっと違うけど、似てる」ということだった。何かここらへん具体的なイメージがつくれなかった。

色々、現代アートも大変だなとか思ったけど、創り手から見ると評論家に対する態度が如何に複雑なものであるかが良く分かった。ここも現場知らないから良く分からんなー。

ていう話をしてその後ファミレスに行ってメシを喰って家に帰った。何か最近毎週土曜日か日曜日に人に会ってる気がする。おわり。