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増補 サブカルチャー神話解体―少女・音楽・マンガ・性の変容と現在 (ちくま文庫)
- 作者: 宮台真司,石原英樹,大塚明子
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/02/01
- メディア: 文庫
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例えば個別な表現論の場合には、より収斂された対象物をえぐりだそうとするために周辺領域との不整合が起きても敢えて無視することが出来るしそうなりがち。それに対して、周辺領域との整合からはじき出されたサブカルチャー分析なり文化研究なりは、広範なサンプルから状況描写を描こうとするために、全体把握に便利。ただし、ジャンル専門家にとっては分析者の社会観など知った事ではないために、ミクロなレベルで分析に恣意があるように感じられるし、実は分析者はしばしばそうしている。
どちらかと言えば、この本は後者。血も涙もない統計を用いているかと言えば、補完的にルポ的な肩入れを行っているために、やっぱりイライラする人にはイライラするというか僕はどちらかと言えばイライラした方。男性=不自由、女性=自由とかは要するに当時の宮台さんの人間観そのものであって、そうしたウケ狙いのものいいそのものから自由でいられた、またはいる振りをしたオタク第二世代の人々にリスペクトを捧げたいような気持ちにすらさせられる。
後書きで上野千鶴子が書いていたような学術的な問題については、良く分からない。大澤真幸や見田宗介の職人的社会学も嫌いでは無いし…というか結局僕にとっては社会学というのは「読む」学問なんだろうな…と。実社会に役立つツールでは無く、モノを考える際のとっかかりの一つになっている…というべきか。勿論社会学を社会設計のツールとして考えている真剣な人達には失礼な話なのだという事は分かっているつもりなんですが、外から見ているとやはりそう思ってしまいます。それと、この後書きはここんとこ読んでいた本の中で一番良い後書きだった。単なる梯子外しでもなく、かと言っておだてでもない、補助線的な読み物になっていた。後書きそのものが良いというのは中々無い。
それから作品や作家を社会における要素に還元して単にそれの機能を計る、という僕がもっとも苦手な語り口がここらへんに源流があったのだと確認できてそれは収穫だった。いや、普段はイヤで仕方無い「作品の機能」というヤツ(「アニメは現実逃避のツールである、それは現実で得られない恋愛を二次元で代替しているからである」というような語り)も、こうやって大きな枠組みで語られれば、一つのビジョンとして有効性があるとすら思った。個別具体的な要素の良し悪しを一度棚上げにして徹底的に機能だけを抉り出すのは決して作品固有の価値を貶めることにはならないのだ、という。ここらへん勘違いしがちだし。ただ僕も含めて普通上のような機能論を用いる時は、大抵作品の価値を貶めるために使っている気がする。使用法を誤ると自分の(しばしば浅薄な)社会観が露呈するのでかなり危険なやり口だよなぁ。
ただし、やっぱり思うのは男性寄りのサブカルチャーに対して冷たすぎるというかそれは機能論ですか?みたいな疑問符をいっぱい付けたくなりました。何で少女マンガとの比較でしか男性文化を計らないのかまた計れないのか。女性カルチャーに繊細過ぎる程に丁寧な分析が行われるのに対して男性カルチャーの分析は、僕らの先輩方が幼児退行的だったという以上の事が言えてないと思うのですが。そこは一応保留したいです。
あとトランスジェンダーとか、「乙女ちっく」を読む男性とか「少年ジャンプ」を読む女性などの越境的な人々の人格分析とかも語って欲しかった。求めすぎですか。
あとで何か書くかも知れないし何も書かないかも知れない。