スカーフェイス [DVD]を夜中に見終わる。全編通じてどこかにキシカンがあるのは気のせいではない。というか、暴力映画、ことにアメリカのそれは典型的な構造を持っていて、基本的にはアメリカ社会のマイノリティーがのし上がりやがて退場していく物語ばかりだ。ゴッドファーザーグッドフェローズならイタリア系アメリカ人だし、このスカーフェイスならキューバ人。クソ映画だけど昔ラッパーのトゥパックが出演していたジュースという映画もアフロアメリカンが成りあがろうとして最後は死んでしまう。北野武のブラザーもそういう文脈で理解出来る。ワンスアポンアタイムインアメリカはユダヤ人。つまりティピカルなギャング映画には、決してマジョリティーは出てこない。

そして次に似ているのは、どの映画も時々の時代背景を背負っているということだろうか。イタリア移民は第二次対戦の副産物、キューバ移民はカストロの圧制のおかげで発生した。だからギャング映画は鼻先で笑うことの出来ない重たさがあるし(マイノリティーに対する畏敬と萎縮)、ただの自己破壊衝動を叩きつけた乱暴な作品になることを大方免れている。タランティーノはそこからジャンルの様式美だけを抽出しているだけのフィルムメーカーに僕には思える。まぁそれはそれでキライではないけど、まぁ時代も読めてかつ男性的欲求を満たす娯楽としてマイノリティーとは格好の素材なのだ。

かつまた、マジョリティーから見れば彼らの暴力衝動を極めて巧妙に馴致し、同時に「成り上がれ!マイノリティー!」という掛け声によりアメリカンドリームにマイノリティー達を巧みに組み込むこうした映画は素晴らしい逆プロバガンダではなかろうか。コカインを吸いたい。女を抱きたい。キャデラックに乗りたい。500ドルのスーツを来て、ゴールドチェーンを首に巻く。金時計をつける…。一面でマイノリティー映画は、欲望の洗脳装置だ。

正直このあたり蛇足だけど、おしなべてこの類の作品に内ゲバや裏切りが多く、WASPの白人に嵌められたとかそういう話が少ないのは、何か意図を感じるんだよなぁ。具体的にはアメリカンヒストリーXとか白人が出てくる映画が、ヘンに道徳的で教養的な雰囲気が漂うとかそのあたり。

・・・と、上みたいな事を考えていたらトニー・モンタナが死んでいた。最後はさすがにギャグだな今見ると。何発打たれれば倒れるんだよ。