“文学少女”と月花を孕く水妖 (ファミ通文庫)

“文学少女”と月花を孕く水妖 (ファミ通文庫)

続きもの。時系列的に雨宮さんの話が出てくるので混乱しましたが、2巻と3巻の間の話らしいです。感想。普通です。ていうかもう琴吹さんが出てこない時点で普通です。可もなく不可もなく。

遠子先輩の想像にかかると何でも博愛主義に回収されてしまうのですが、このアプローチは作家を選ぶような気がしました。つまり彼女にとっては人間愛があらゆる前提に建っているのでありまして、絶対に耽美主義とか形式主義には傾斜しないわけです。それは、ときどきずるいアプローチになります。作品が歪んでいても、作家は美しい心の持ち主だった。または人生は苦しみの連続だったが、その苦しみを愛のある作品に結晶させた、という。どちらしにても、彼または彼女には無条件の生の肯定があったと読めてしまう。これは意図的な作家研究と作品分析の混同でしょう。

こういったアプローチは作家の固有性を意図的に看過しているので、一種の侮蔑かもしれません。が、何かそれで良いような気もします。そもそも泉鏡花太宰治武者小路実篤も、現代人は読みませんし知りません。僕も読んでませんし。過去の作家が如何な意図を持とうとそれが壮大な誤読によって、何だか良く分からないけど文学という名の元にまとめられているのが、実に私の気分にフィットしています。

そう考えると、どこぞのメタ小説よりもこちらの方が余程皮肉が利いていて楽しいのですが、他の人はどうでしょうか・・・というネタを考えたのだけど眠いのでやめよう。とにかく次は琴吹さんを出して欲しいなぁ。そして遠子はどうなってしまうのだろう。