家事全般を一人でやるようになってから、家にいる時間が凄く長くなった気がする。ますます人に会わなくなっていく。仕方が無いので、USTREAMをつけると東浩紀が実況をやっている。その間もタイムラインは快調に流れていく。楽しそうだなぁ。でもオレがいたら楽しく無くなるだろうなぁ。彼らは何と言うか超人だ。インターネットにあれだけ繋がりながらきちんとリアルと関係性を保っている(ように見える)というのは、無理だ。何か、最近友達にこのところの東浩紀は良く分かんないって言ったら(その友達と一緒に涼宮ハルヒの消失を見た)、オレは始めからわからねーよ的な事を言われました。そうですか。その時はあんまり上手く言葉に出来なかったんだが、まぁ当然今も分かりません。とりあえずゼロ年代が終わって、多分あれだよね、東さん的に語るに足る対象(作品とか人?)が見つからなくてイライラしてんだろうなーってのは何か伝わってくる(勘違い)。で、オレも何だかんだ一般意思だとかそういうのも好きだしそういうのとエロゲーをそういうのと絡めても良いんだが、あんまり好きな物探しを人任せにしてても良く無いんでトクヴィルとかハードコアなものを読んでいます。とそんなことを考えつつ、Podcast文化系トークラジオLifeを聞く。ここのところLifeは話題に切迫感がありすぎて軽く鬱だ。リアルタイムウェブとか経済成長とか、当事者としてリアクションを誘引する話題というレベルならまだ落ち着いて聴いていけるけど、そこに隣の人と奪い合うかまたは革命か(いや実際そういう二者択一を迫られるものもあるとは思うんですがね、というか迫られてる人が多い昨今ですが)、という枠組みを持ち込まれるとどうにも辛い。やる気が無いので枠組み自体から降りたくなってしまう。または、特定の弱者カテゴリーに納まりたくなる。実際には、割り切れる弱者等そういないというのは頭では分かっているにも関わらず、だ(追記)。それと、最近事象そのもの(例えばTwitterとか?)と話題に取り上げるまでの期間があまりに短すぎて、これでもまだ情報収集が足りないのか…自分が時代についていけてねーのかと錯覚してしまう。まぁその一方で、リアルではそんなのと逆の事もある。何と3月も半ばになって知人から「フリー」をハードカバーで渡されて「読んでみろ」と言われた。確かLifeでは年末くらいには話題にあがっていたよなぁ…。ちなみに名前と論旨をネットで聞きかじって、全然興味が持てなくてはなんだかな…という気分で読んだ。だが、意外なことに面白かった。企業するとか思わなかったけど。フリーに書いてある事はあたりまえのことだ。ただ、その経済規模とフリー経済がどのように現実に影響を及ぼすかは参考になった。いやーフリー経済が徹底されたら日本の労働者の大方は失業ですね。フリー経済が「成立しない」場所の方が先進国では少ない。だが、それが裾野まで行き渡りモノカルチャーよりパフォーマンスを上げられるかどうかはそれこそ国によって違う。あと文化観によっても違う。それがどう作用するかは国よって違うよね、だけどその解説は、それはエッセンスでは無くて個別具体的なコンサルティングだからフリーじゃないんだよね!それと、取り上げている中国の偽ブランド話もかなり惹かれる内容だった。アンダーソンによれば、偽モノのブランドは本モノの別ヴァージョンと捉えられる。また消費者はそれが偽モノだと理解した上で買う、というアレ。オチは無い。

最近の良く聴く音楽。かなり傾向が固定的になってきていて、ハードコアなものは減ってきている(ギャングカルチャーを背景にした示威的な音楽や電波的アニソン等)。世間的にも、ことアメリカではヒップホップはエレクトロと混ざってきているような。無論金の鎖を付けてニューエラのキャップを被って、キャデラックに乗るというのも一つの振る舞いで、根強いような気はするんだけど、それプラスで多分威張らないヒップホップというのはもう一つの勢力なのかなぁと。

ローカルな背景から発祥した音楽が洗練されると、カニエウェストのように日本のファッションと連動してみたり、キッド・カディがミラノのエレクトロミュージシャンと連動したりということになって、何だか面白いなぁと思う反面、でもやっぱりそうした連動する際に必要なコンテクストってのは誰か整備しなきゃいけなくて、いやもっと言えばマッチポンプだったりするわけで、あー自己啓発ってこういう時に使われるんだな…と村上隆の本読んだりして考えた。

脱線したけど、超ローカルは洗練されるとグローバルな論理と連動出来るというのはかなり興味深い。

文章が壊れてたのでいくつか追記、手直しをしました。