トクヴィルアメリカのデモクラシー」第一巻下巻からいくつか

今日、合衆国では、社会の富裕な階級はほとんど完全に政治の実験の外にあり、富は、この国では権利があるどころか、不評を招く確実な原因であり、権力に至る障害と言ってよい。そこで、金持ちたちは、もっとも貧しい同胞に対して、たいていは不利な戦いをするよりは戦場を離れる方を選ぶ。(中略)、公的生活を捨て私生活に閉じこもるのである。第2部第2章P20

民衆の知識をある一定の水準に引き上げることは、いずれにせよ不可能である。人知を分かりやすくし、教育方法を改善し、学問を安価に学べるようにしたところで無駄である。時間をかけずに学問を修め、知性を磨くというわけには決していかない。つまり働かずにいき生きていける余裕がどれだけあるか、この点が民衆の知的進歩のこえがたい限界をなしているのである。(中略)しかし、限界がまったくなくなるためには、生きるための物質的配慮から民衆が完全に解放されねばならず、それはつまり民衆でなくなるということにほかならない。第2部第5章P54

1下巻トクヴィルがこの後延々繰り返していくキートーンが頻出する。トクヴィルは民主主義について、優良なシステムとは考えていない。政策を実行するにせよ、法律を制定するにせよ、それが正確に、また精密に実行されるなら、貴族制がはるかにましと考えている程だ。トクヴィルが民主主義をそれに付帯するシステムを評価するのは、それが貴族政体が腐敗した時より民主主義が腐敗した時の方がまだましだ、という一点に尽きているように思える。だからトクヴィルは、この後デモクラシーやそれが当時最も発展していたアメリカの未来(具体的には先住民問題等)について、相当に暗い予想図を画き出している(それが相当程度当たっているので、今でも読み継がれていると思う)。