頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書)

頭がいい人、悪い人の話し方 (PHP新書)

いっつも脈絡の無い読書ですいません。
「小説ばっかり読んでないでたまにはこういうのも読めば」と、親に薦められて読んでみた。ざっと読んでの感想は、これ全部に当てはまらない人は課長島耕作くらいなんじゃないかと。40項目にわけた「バカ」類型、「バカ」に対する周囲の対策、そして「バカ」を自覚するためのポイントがまとめられている。「道徳的説教ばかりする」バカ、「詭弁を用いて自説にこだわる」バカ、「矛盾に気づかない」バカ、などなど世の中には色んなバカがいるんだなぁと目からウロコ(?)。思わず「バカばっか」(byルリルリ)がピーンときた自分はさながらバカヲタです。
確かに自戒したいことはいっぱいある。「自分のことしか話さない」バカっぷりとかまさにこのブログじゃないですか!とか、「人の話を聞かない」とかまぁいつものことだし(あ、もしかしてこれもバカの兆候?)。結構どころか、大抵の人にあてはまるこの類型は面白いし、自分の胸にとどめておく分には、世間知として良いんでは。これといって強い印象のある本ではなかった。毒にも薬にもならないような本って最近のベストセラーの鍵なんでしょうか。
でも、著者の人間観ってちょっと怖い。

人は、話をすることによって、相手の知的レベルを判断する。そして、実は、それ以外に判断のしようがない。そうだとすると、「あの人は、話をしていると愚かに見えるが、実は賢い」といったことは原則として起こらない。言い換えれば、話をして愚かに見える人は、文字通り、愚かな人間として扱われる。そのような人は、よほどのことがない限り、挽回の手立てがない。

まぁファーストインプレッションって大事かも知れないけど、それだけで人間を計るのも大分浅薄な気がするんです。自分が会話下手だから余計そう思うのかもしれないけど、こういう目的なき人間類型と(そうじゃないのもある)、「空気嫁」という空気は、凄く馴染みが良くて、さらに、そこで「空気読めない」&「バカ」の烙印を押されると、もうホントに「挽回の手立て」が無い。僕はどちらかと言えば「空気読めない」側なので、本書的な「バカ」になる事は避けつつも、「バカ」な人ともそれなりに付き合い、一瞬で人に判断は下さない方が良いかな、という結論に落ち着きました。空気を読むこととバカが等号関係かどうかは後でちょっと考えてみたい気もする。

関連

課長島耕作wiki
島耕作wiki。あんまり今回の話とは関係無いか。
空気の読める社会(1)
空気を読むことと、コンテクストの高低の関係性について。面白い記事なので是非読んでみてください。