文系サークル内輪話はもうやめ!という方針に従ってもやしもん(1) (イブニングKC)を友人に借りた。中々面白かった。何が面白いと言うと色々ありすぎて良く分からないのだけどまず細菌薀蓄情報が豊富で凄い。マンガの脚注をフル活用した作家としては士郎正宗以来だ。昔バスタード!でそういうの見たけどそれは萩原一至本人が士郎正宗のオマージュ(パクリ)であると公言していたので別扱いとしよう。

オレ的にこのマンガの面白さは「擬人化」に対して色々と妄想を掻き立てるところにある。例えば(誤読かもだけど)、日本にいる乳酸菌は「L・ヨグルティ」というのだが作中だと何故かちょんまげをつけている。安易な表現なのかも知れないけど凄く理解が進む。日本にいるからちょんまげ。なるほど、分かり易い。それにビールについている酵母菌は「S・セレビシエ」という学術名(らしい?)のだが、こいつはいっつも「かもすぞ」(意味は不明だ)とつぶやいているのでいつ出てきても「あ、こいつは酵母かそれに関した菌だな」と見分けが付くのだ。デザインもコロッポックルに突起をつけたようなヤツで、顔はにこにこスマイルばかりだ。人に悪影響を及ぼしそうな菌は人相が悪い。

何かここらあたりからいつもの論理の飛躍があるのだが、まぁどんだけ科学の知識を積んでも僕(または僕ら?)は、世界を「人間」というフィルターで見てしまうし、それの方が馴染みのある思考方法なんだなということ。もののけ姫でもコロポックルに愛着をもってしまうような感覚と言っても分かりづらいのだがそんな感覚。ただ、漠然と「細菌、これこれこういう効能または害あり、摂氏何度以下の環境を好む」とか説明されるより、「かもすぞー」って言われた方が百倍分かる感性ってそのへんに根っこがあるような。とりあえず見る対象が意思を持って生きていると思うとそれだけでこちらも対応がしやすくなるんだろうなぁ。勿論それも民族・国家・主義・主張・宗派によって色々と想像の処理は千差万別なわけで、日本人が「森」をもののけ姫のそれの如く「生命の源泉」として描く一方でヨーロッパ人の「森」観とはそれすなわちむちゃくちゃオゾマシイ魔物の住む未開の土地、または文明化されるべき土地として見出される。そういう処理の差異の是非はともかくそういう自然観の強固さみたいなものを半分無理やり感じてみたりした。大分遠大な話になったけどようは大谷明宏@フィギュア萌え族の人も擬人化してみればまぁ許せるよなぁというそんな感覚だろう。

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「もやしもん」石川雅之さんに聞く : 出版トピック : 本よみうり堂 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
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