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ガラにも無く週刊東洋経済http://www.toyokeizai.co.jp/mag/toyo/2008年2月16日を読んでいたら大澤真幸氏の「オタク文化ではなぜ物語が継続されるのか」というコラムが。
抜書き
- 「終わりの公式な宣言」がなければ人間は偶有性を克服出来ない。
- ところがわれわれの社会は、終わる事の困難に直面し、もがいているようにみえる。
- 「ゲーム的リアリズムの誕生」の紹介。
- 氏曰く「こうした作品で驚かされるのは、反復という主題がやたらと反復されることである」。
- 「ALL YOU NEED IS KILL」と「ひぐらしのなく頃に」にみられる「反復」という主題。
- 「このように、反復という主題はオタク系の作品の中では、たいへんポピュラーなものである」。
- 「すこし突き放した視点から眺めてみれば、(中略)彼らの行為が反復という主題を反復していることがわかる」。
- コミケにおける「反復」、二次創作の紹介。
- 基になる作品が「正典」として機能していない。
- 「正典たりえない」作品群はほかのありえた可能性へと消費者(この場合はオタク)を駆り立ててしまう。
- 以下略。
感想
- 一本線の物語的リアリズムからゲーム的リアリズムへ!というオタク間の内ゲバ的な話題が日本人全体の問題へと変換されているところがややアレだなという第一印象。
- オタク作品で支配的な概念は終末論ではなかろうか。
- 「終わりの公式な宣言」とか無駄に相対化されやすそうな似非ワードに萌えた。
- 現実に立ち続けるフックが偶有性だというならオレが数限りないキャラの中からトリエラに出会えたのは素晴らしい偶有性!とか言えちゃいそうな気がした。
- オレが何故ここまで釣られているのかと言えば非オタ系サラリーマンにこのエッセイをダシにしてオタクはさぁ〜?みたいな語られていたからという理由以外の何モノでもない。
ここまで真顔で「現実」とか言われると少々びっくりしますね。「ゲーム的リアリズムの誕生」に提示されている環境とコンテンツという仕掛けにしてからが、「相対化されてしまったリアリズム」について語られていたはずだったのに、それと対置されるのが「東洋経済的サラリーマンリアリズム」っておいおい。
大澤真幸好きだったんだけどなー。つうかオタク叩きたいならもっと徹底してやればいいよ。